整体たけそら|マッサージサロン/出張|男性セラピスト/女性専用
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セラピスト独立記|東京新宿 整体たけそら|個人マッサージサロン
独立記|サロン/セラピスト
個人サロン旗揚/セラピスト道程
​モラトリアム時代~たけそら時代

東京新宿 整体たけそら|マッサージサロン
竹宙/たけそら/TAKESORA
DIY隠れ家プライベートサロン
施術セラピスト|溝延 直也


​目次

■前書き|感謝想念/心情絞出

■セラピストの独立記
●サロン勤務/回想記
●独立初期/現在/自己分析
●整体療術院弟子/原初/遍路
●身体・施術ワークショップ/泥蓮
​
●独り一派/旗揚げ
​●独立心/志/道程
​
個人サロン手引書|勉励・サロン勤務・物件内装・WEB・施術金額

■セラピストの施術記
●中医薬大学日本校/勉励/身花茶宙
極私的探訪|組写真 身花茶宙/古民家
●入校までの道筋/営業/倶楽部/修練
​
極私的再訪|発心の場/屋号由来 初期衝動の竹林
●研鑽を積む作業/基本と研磨
●出張訪問/基本と遊行
​

■後書き|自己アンサー/灯光舟
独立記|付録写真

※グレー文字を、タップまたはクリックすると、ページ途中・段落部に移行します。
セラピスト独立記|整体たけそらマッサージサロン
2026年6月「初期衝動」の場となった竹林の中で。
独立記|東京新宿 整体たけそらサロン
「たけそら独立記」
​
個人サロン旗揚
セラピスト道程
竹宙独光


個人サロン・セラピスト独立記|整体たけそらマッサージ
●前書き「セラピスト独立記~愚直・滑稽な、風変わり道程~」

長年、お蔵入りさせていた文章を、大幅に手を入れ直し、白日の下に、甦生させました。

​
※細字は、2012年・2015年に記述した文章になります。(幾分かの手直し・追記・加筆表現あり。)
※太字は、2026年・超長尺の渾身の加筆文章になります。(殊の外、自身が驚嘆する程の尺になってしまいました。)
長年の間、蓄積ストックしていた、記述文章の文脈を読み解く為の、網羅的な多岐にわたる写真・撮り下ろし組写真(発心と初期衝動の場、心眼・手草・身花茶宙)も追加してあります。
※一晩眠ると、頭の中が整理されるのでしょう。起床後に、脳内・心中に浮かび上がって来た、過去の感情記憶コンテクスト・言語表現フレーズの数々を、ノートに走り書きし、日中・夜間に丹念・克明に書き留めスクリーニング、愉悦・刻苦の筆が興に乗り続け、加筆の積み重ねで、結果的に、超文章量になってしまいました。
吐露的・自叙伝的要素(手跡・足跡・軌跡)を、多分に包含する内容に成りつつあります。サイト更新作業の「ハイライト」になるのかもしれません。
先ずは、自身を成長させてくれた「存在・場所・時間」に「感謝の想い」を記したく、筆を走らせ綴る。
そして、もしも、何処かに、閉塞感漂う状況で、あがき・もがく、途方に暮れる、志ある若き方々がいるのならば、自身が若き時分に受けた恩を、万が一にでも、返すことも出来るのかもしれないという想いもあり、筆を執る。何処かで独り佇む、心優しき若き人々へ、小さな一歩を踏み出す勇気を届ける為に。
​

心の引き出しから、一つ一つ大切に、過去の感情を取り出し、断片的な記憶を呼び覚まし、胸中を吟味することに注力し、
加えて、諧謔精神で可笑しみ・滑稽な様を表現することに、主眼・重きを置きながら、飄逸として記述作業中。

今となっては、「たけそら舟」を下舟し、岸辺から彼方に離れてしまったクライアントの方々、若かりし頃に交流のあった方々・お世話になった方々にも、風の便りで、この文章が、届くことがあれば、幸いです。
竹宙自身は、今後も出来る限りの永久の間、施術生活を送り続けたいですし、隠遁生活(山奥の秘湯宿で施術・湯守)・余生(何かには、心を注ぎ込み続けるでしょう)には早すぎますし、この文章コンテンツの「最後のピース」が何なのか、たけそらの今後の「道筋・道程」なのか、分かりませんが、新しい自分に出会い、心に湧き上がる迄、日々の充足感を念頭に、気長に待ちたいと思います。
余生感が出てしまいましたが、本人は至っていつも通り、たけそら稼業・生活しております。これからも、何卒、よろしくお願い致します。
※加筆作業は、徹頭徹尾・最終尾まで、自分という謎を解く意味でも、心情を絞り出し続け、打ち止め感が出て来ましたが、まだ極々細々と続行中です。いつまで続くかは、自分にも、分かりません。(文筆作業によって、自己を清める為に、煩悩の数108枚の400字詰の原稿用紙文字数まで、到達することが、出来ればという、目下の想いもあります。→2026年7月8日 到達。一先ず、安堵。未完。)
「たけそらサロン」のリピーターの方々にも、深奥なる、ご理解・ご共感の為に、熟読を願いたい文筆内容に、推敲し、磨き練り上げなければと感じております。
そして、今後の舟旅珍道中で、向き合うであろう方々にも、出会いの契機として、届くようなことがあれば、幸甚に存じます。

筆者|たけそらセラピスト
溝延 直也(みぞのべ なおや)

国立福島大学で心理学を専攻する。
澤村整体療術院で弟子生活を送る。
黒龍江中医薬大学日本校で勉強する。
整体マッサージサロン長寿堂に勤務する。
たけそら|隠れ家プライベートサロンを営む。
たけそらセラピスト
たけそらセラピスト独立記|溝延直也
2026年6月「発心」の場となった陸橋の上で。
個人サロン・セラピスト独立記|整体たけそらマッサージ
序文|セラピスト独立記
東京新宿 整体たけそら|マッサージサロン
隠れ家プライベート/プリミティブ
独創・DIY・インディペンデント
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セラピスト独立記|東京新宿 整体たけそら|マッサージサロン
​■セラピストの独立雑記|2015+2026

サロン勤務|整体たけそらマッサージサロン
●サロン勤務/回想記​
​2012年春 当サロン「たけそら」セラピストの独立の場合は、「勤務していたサロン」のお客さんは誰もついてきませんでした。新宿の大通りのサロンから、180度路線・方向性の違う、隠れ家プライベートサロンとして、路地裏の雑居ビルで開業した為もありますし、結局、自分のスタイルに、勤めていたサロンとお客さんは、噛み合っていなかったということでしょう。思い返してみると、水と油のような関係であったのかもしれません。
勤務していた新宿三丁目の個室サロン「長寿堂」(整体マッサージ・リラクゼーション)は、独立数年後に、「閉店」しました。
​サロンでは、整体ボディケア・リフレクソロジー・フェイシュル全施術を担当。三年半もの長い間、お世話になりました。虚仮一念。
※日本人女性スタッフ(20代~30代)が中心のサロンでした。現在、新宿区内にある同名のサロンではありません。経営会社・経営者は別です。
たけそらセラピストが勤務していたサロンは、個室5部屋(シングル施術3ルーム・ペア施術2ルーム)、初期投資の回収には、長年を要するであろう、湯水のように内装・備品類に金銭をかけた、洗練された瀟洒なサロンではありました。
立地・敷地面積から店舗家賃も相当な額であったと思いますし、現実的に、初期投資を回収し、黒字経営で運営出来ていたのかは、雑談の中でマネージャーに、かいつまんで訊いてはいましたが、自身は経営側ではないので、当時の本当の懐事情はわかりません。
サロンの経営企業は、当時は、他にも、タイ古式マッサージサロン・ネイルサロン、同じビル上階でゲルマニウム温浴/岩盤浴ドーム型サウナの店舗を経営していました。その後、勤務期間中に、タイ古式・ゲルマ岩盤浴店は閉店、ネイルサロンは多店舗展開へと移行している段階でした。
現在は、事業譲渡しているのかしれませんが、サロン退職後は、スタッフ・関係者の誰とも交流がないので、風の噂も聴こえません。
今となっては、蜃気楼の如き儚き幻影空間。以下、寄る辺なき当時の想いを昇天させるべく、筆を走らせる。


セラピスト独立記|整体たけそらマッサージサロン
​勤務開始当初は、スクール段階終了直後の、施術セラピストとして、箸にも棒にも掛からない存在だったでしょうから、サロンに拾ってもらって、勤め始めたという事になるかと思います。
金欲がなく、心貧しさもなく、どこか浮世離れし、狭い集団で自己を誇示することもなかったので、重宝がられたのかもしれません。
また、当初は、ダブルワークの為、片足だけ踏み込む中での勤務でしたので、他スタッフとの距離感のバランス・使い勝手も良い存在であったと思います。

完全個室で、施術の全ての流れを担当するリラクゼーション系のサロンに対して、最初は違和感もありましたが、来店なさる方々は、熟練の先生に施術してほしいわけではないので、直ぐに慣れました。リフレクソロジー・フェイシャルコースに関しては、スクールでの勉錬だけでは、心許なく不十分でしたので、在籍中の他のスタッフに、空き時間に練習に付き合ってもらい、万全を期してから、お客さんに対応し始めました。
在籍するスタッフは、あれよあれよという間に、次々に辞していき、権力・陰険とは無縁の、暖簾のように受け流す新参者の拙者が、またたく間に、最古参の存在になりました。些末な事にこだわらなければ、自身にとっては自由で快適な環境で、緩やかに施術生活を送り始めました。※この時点では、後のアンビバレントな一心不乱の勤務状態・状況になるとは、本人も想像していませんでした。
​※当時は、眼前が尼寺本堂の、笹竹箱庭のある住処(窓を開け放つと、静寂・静謐な夜のしじま)から、ミニサイクルで通い始めました。後に引越し、カオス混沌の新宿・真只中の住人になり、ネオン煌めく歌舞伎町の中を、遠慮気味に闊歩しながら突っ切り、サロンに通いました。(勿論、歌舞伎町に馴染む内面性ではありません。新宿駅付近のミニシアターに通う際の、昼下がりの細路地のどんよりと停滞した空気感は、嫌いではありませんが。)
※因みに、寺庭物件は、最初の不動産屋で直ぐ初っ端に提示された物件。群衆物件「竹宙堂」は、諦めかけた時の最後の最後の不動産で、提示された物件でした。

我ながら、直感による場所・土地との御縁が、両極端ではあります。初憶。
※追記。何の因果か分かりませんが、群衆物件(管理人が不在)の、階段掃除・周囲ゴミ拾い(紙屑・タバコの吸い殻・飲食の残骸等)・ゴミ箱整理(ゴミ袋の分別)が、サロン独立以来、セラピストの日課になっています。不労所得があるわけではなく、年金暮らしで暇を持て余しているわけでもないのですが。人知れず、淡々・粛々と、浄化活動をしています。(掃除の際に、顔を合わせた近隣の方々と挨拶を交わしますが、この人は何の仕事をしている方なんだろうと思われているかもしれません。)また、遠くの被災地に行かなくても、身の丈の社会貢献は出来るという、意味合いも無きにしも非ず。そして、何よりも優先すべきは、雑多な路地裏のサロンにお越しになる、クライアントの方々に、不浄なく、気持ち良く来店して頂く事ですから。(当日予約も多く、いつ何時、予約が入るのかは、自分には予測が出来ませんので、常に、クライアントの方々を、お迎えする準備を怠らず、自身の心身を整えて、万事万端の状態にしています。)

サロン勤務当時から感じていましたが、お客さんはサロンのブランドに惹かれてくるお客さんですし、セラピスト個人のお客さんではないのです。指名制度も、サロンの中での指名ですから。やはり、離れてみて、数年後の今はそう思います。独立すれば、独りで、個人ブランド世界観・ミクロコスモス小宇宙を創り込み、稀有な存在としての価値を表出し、広大無辺の東京海原の数あるサロンの中から、選んで頂かないと、施術をするという行為ができないのです。
勤務サロンの、ライト層・コア層のお客様共に、女性スタッフの施術を求めて、ご来店されていましたので、指名等は皆無に等しく、リピート率も最低状態での勤務ではありました。(施術未経験のスタッフよりも、低水準。)勤務サロンと「たけそら」セラピストは、全く相容れない関係性であったと言う事です。
但し、仮に巷の整体院に勤務していたとしても、誰からも求められない状況は、五十歩百歩で似たようなものであったと思います。要は、「思想観」の多数派側
集団の中にいては、独特な感性に矜持を兼ね備えた「たけそら」の存在は、「響かない・届けられない」という事です。
また、「たけそら」の存在が、店舗・スタッフ側からではなく、お客様側からの需要がある、施術集団・組織などは、存在しないのだとも思います。(たけそらセラピストの個性に、店舗・スタッフ側が波長を合わせれば、経営が成り立たないでしょう。)
施術業に足を踏み入れる以前の生活においても、充分過ぎる程に、独業向きの人間で在る事は、解っていましたので、サロン勤務を始めた当初から、内心では独立を志していたわけですが、結果として、お客様に、存在を受け入れてもらえない現実に、直面し・目の当たりにして、すべからく独りで施術業を営むべしと言う心境に到るわけです。(自分自身が、興味関心があり面白いと感じるサロンの世界感を表現したいわけです。)
独立すれば、「たけそら」セラピストの施術を受けたいという感情を抱いて、来サロンしてくださるクライアントの方々とだけ、面と向き合う事になりますので、
一挙手一投足を、
本来の「哲学観」を持って、施術行為が出来るのです。

独立前の準備期間中の「たけそら」の噂を聞いて、来店する方は多くても、遠慮・敬遠され、誰も指名はしないというカイゴロシ的な状態。また、読者モデルさんに人気(インフルエンサーマーケティング)という路線のサロンでしたので、サロンに来店される方(ホットペッパービューティー系サロンを求める方)との相性も、基本的に合わなかったと思います。当時は、中身(施術)が伴わないサロンイメージ・ブランド作りに、お世話になっている有難さもありつつ、恥ずかしさも感じていました。常に消化不良で、もどかしく・やるせない気持ちでいたのも事実です。
自身が望んだ事ではありませんでしたが、結果的に勤務サロン側の、集客経費ゼロ・無料の宣伝広告塔になってしまった状況があったかと思います。自身の今後も、成る様になると、流れに身を任せていた途中経過の状況ではありました。極めて微力ながらも、サロンの売上に貢献出来る事は、お世話になっていることへの「恩返し」だと感じてもいました。
​それ故に、運営側のマネージャーが、自身をサロンに置いておきたいという心情も理解出来ていましたし、踏ん切りをつけたいという自身の独立心との、板挟みの葛藤状態でもありました。サロン勤務・最終盤期の、不可逆的な意思疎通不可の、コミュニケーション不能状態は、心底・息苦しかったですが、不可避であり、避けて通ることはできなかったのだと思います。
その状況が、下記の、独立なのにも関わらず、誰からも「はなむけがない」悲壮な最終局面に繋がって行くことになるのでした。また、避けて通らなかったからこそ、独立初期の深閑状況を乗り越えられたのでしょうし、この溢れ出る想いがあるのでしょう。

※当時は、未だPC検索主流の時代。サロン勤務終盤期には、「たけそらサロン」が、YAHOO検索「新宿 整体」「新宿 マッサージ」「東京 整体」「東京 マッサージ」他のキーワードで、試行錯誤の独力で、検索トップページの地図に1番目に記載されていました。
インディペンデント・サロンが1番目とは、サロン業界にとっては、笑止千万・片腹痛い存在だったと思いますが、当時から、愚直なスピリットだけは無双・傑出する存在だったということでしょうか。(金銭・人脈など何も利用せず、独り旗揚げしたのですから。)
※しかしながら、サロンを探す世の中の方々に、たけそらサロンのインディペンデント・スピリットが伝播したのかどうかは、独立直後の閑散とした状況を鑑みると、甚だしく疑わしいですが。何はともあれ、WEBの時流に乗って、運が良かったのだと思います。(SNSに関しては、地道に石橋を叩いて渡り、独立前にFACEBOOK→独立直後にTWITTER→5年後にINSTAGRAMを開設。)WEBサイトの道程につて、詳しくはリンク先へ→WEBサイト/プロセス
※現在は、アルゴリズムの複雑化・進化で、ニッチキーワードでしか、表示されません。


深夜勤務を独りで任されてからは、全て業務(来店受付・電話対応・WEB対応、個室5部屋での連続施術、タオル・ウェア洗濯たたみ、掃除・在庫管理・雑用等)を同時にこなし、勤務するサロンに対して誰よりも思い入れが強いと自負していましたが、経営・運営面には一切関わらない現場の一スタッフの立場でしかないですし、独立後の事を踏まえ、自分の個性を出す事をしませんでしたので、常にモチベーションを維持して存在することに努めていましたが、時が経つにつれサロン・お客さんとの関係性は段々と希薄になっていきました。

最後は、サロンのスタッフという感じではなく、「たけそら」として、委託されて任されている感じになっていました。(自分の立場を、そう思わせることで自分自身を納得させ、お世話になっているサロンの業務につくす為。)昼は、女性スタッフのサロンでしたので、昼と夜では全く別のサロンのようだったと思います。とにかく、アンビバレントな愛憎相半ばする複雑な心持ちのまま、目の前には、独立しなければならない時が迫ってきていました。(サロン内装とWEBサイト土台作業が完了し、自身で決めた最終期限日。サロン勤務に専心できる、精神的なデッドラインでもありました。)
 
サロン勤務当時は、同じ新宿で独立する為と、新宿の大通りの有名サロン勤務という認知度は必要なかったですから、自分の担当するお客さんの前以外には、絶対に姿を現さず、謎のまま存在をひた隠して勤めていました。周りのスタッフにも、何も話さずに、一切秘密にして、独立に向けて、身の丈でコツコツと進行していました。(ネットで検索すれば、情報は出てくるので、バレバレだったとは思います。スタッフも、触れないように知らないふりをしている感じでした。)
当然ですが、誰からも、はなむけの言葉も、お別れの花束も、ありませんでした。最後の勤務終了後も、ビルの最上階に住む大家さんに挨拶・菓子折りを渡し、サロンの扉を閉め、感謝の手を合わせ、立つ鳥跡を濁さずで、忽然と立ち去る。門出は、自分に刻む唄。
(勤務最後の期間・夜明けの早朝に聴いていたトータス松本氏の「ハッピーアワー」を、溢れ出そうになる涙をこらえ、唇を噛みしめ、唄いながら。当時の記憶が繋がり辿ると、他にも「ブランコ」宮本浩次氏「ワインディングロード」※両曲ともYOUTUBE映像と共に。20代から愛聴する曲・吉野寿氏「夜明けの歌」「素晴らしい世界」に、鼓舞され気力を振り絞った期間。)
退職当時は、坊主頭の後ろ髪を引かれる想いはありませんでしたが、完遂した清々しさの中に、自身のサンクチュアリ聖域がなくなるという一抹の寂しさは、心の奥底にはあったのかもしれません。追憶。
※再度、思い直してみると、はなむけがないのは、そっとしておいてくれた女性スタッフの優しさだったのかもしれません。当時は、自身の今後の事で、精一杯で余裕がなかったでしょうし、また、
勤務初期の関係性を回復するのは不可能であったとも思いますし、スタッフの心遣いに気づいていないふりもしていたと思います。

ただ、内心で独立を決めているからといっても、消化するだけの勤務になるのは嫌でしたし、立場の違いから、スタッフとも、ひずみが出来て、本心のコミュニケーションが取れず、心苦しくはありましたが、サロン勤務も3年半という長い間、一日も欠勤することなく、最後まで徹底して、貫徹やり通すことができました。信頼されて任されている、何より自由にやらせてもらえたからこそ、続けられたのだと思います。プライベートでは独立準備をしながら、サロン内では手技を研究し、運営面を学ぶことも出来ました。有難い有意義な日々でした。
勤務開始1年目は、週4・5日 昼過ぎから夜間(寺院清掃と掛け持ち)勤務。2年目からは、サロン深夜勤務に集中・専念。ほぼ全日出勤。月1の休みに秘湯へ。(勤務明けに高速バス乗、♨宿で1泊・骨休み。翌日、帰京し出勤。)3年目からは、日曜休み(深夜営業なしの為)で、安定した勤務に移行。(勤務時間前後での内装・備品・WEB独立準備で、いつも寝不足状態・倦怠感の日々。)
※当時のサロン業界の薄給では、経済的にも、ここまで連日勤務しないと、遠からずの先の独立という道筋には、見通しが立たなかったということでしょう。
補足すると、自身は固定給・時給・歩合制などという一般的な枠組みではなく、深夜勤務に移行後は、言うなれば、変動制「存在料」という形態での給料体系ではありました。(勤務開始時間を夕方過ぎに電話で確認・調整しながら、
サロンの予約状況・込み合い具合によって、夜間~早朝までの勤務。)サロン・マネージャーとの信頼関係がなければ、成り立ちません。
※手創りのインディペンデントサロンとはいえ、内装材料費・備品類の費用は掛かりますから。(施術ベッドだけは、奮発して、海外から取り寄せました。)
※また、月に1日しか休息日がなかった状況の中だからこそ、山奥に存在する「秘湯宿」での骨休みの有難みを感じる事も出来たのだと思います。

セラピスト独立記|整体たけそらマッサージサロン
​独立後も、影ながら、気にかけてくれた女性スタッフの方がいてくれたのは、有難き幸せな事であると、今更ながら、感じてはいます。品行方正の聖人君子では、更々ありませんし、皆のお手本となる・指針となる善き先輩・リーダー格の存在では、ありませんでしたから。言わば、はぐれ者のユーモアとウィットを内包した、悲壮感漂う愚直心の塊のような存在。女性スタッフに対する、冗談・遊び心がなければ、3年半もの長い間、勤務する気持ちは続かなかったという側面は、この際に、記しておきたいと思います。心優しきスタッフに、自身が助けられていたのだと思います。そして、自身に長寿堂勤務という千載一遇の時間を与えてくれたマネージャー、ありがとうございました。
もう時効でしょうから。若気の至り記。以下、気分を害する方は、読み飛ばして頂いて構いません。
・スタッフ控室から外階段に飛び移り、何故かサロン入口から登場したり。
・お客様用のパンツ・ズボンに両腕を通し、長そでシャツに両足を通し、スタッフの目の前に現れたり。
・隣の空き個室で、一人二役で、お客様が来店された際の「こちらのお部屋にどうぞ。」「わー綺麗。素敵な部屋。」芝居を打ったり。
・隣の空き部屋のベッドの上で、施術が終わったスタッフを、逆立ち股開きで、待ち構えていたり。
・スタッフが施術中の個室ドアの摺りガラスの前で、腰振四這舞踏ダンスを、仕掛けたり。
・帰り際のスタッフの下足の中に、小さな置物を、忍び込ませていたり。

・他のスタッフは気にも留めない珍奇なくだらない局面で、独りプププッと笑いが止まらず、一日中、思い出し笑いをしていたり。
・勤務時間前にサロンの込み合い状況の確認TELをする際に、毎回違う偽名と声色で、電話をしたり。等々。
解読不能なシュールな行動は、数え上げたらキリがありません。スタッフは、呆れ返っていたとは思いますが、たまにはお情けで、調子を合わせてくれもしました。
連日勤務に起因する、自身の心の余裕の無さから、当たりがキツくなってしまったスタッフには、近寄り難い存在になってしまって、申し訳なかったという気持ちもありますし、自身より後にサロンに入った中核を成すメンバーが、一人去り、また一人去りの連続でしたので、その都度、心寂しさもありましたが、感傷に浸っている余裕もなく、独立という本来の目的の為に、集中しなければと、己を叱咤激励していました。
サロンに出勤した際の、いつも待ち構えていた安息のスタッフが、突然・前触れもなく去る際は、突発的に自身も直ぐにでも立ち去りたくはなりましたが、もう一度、気魂を入れ直し、もう自身も一刻の猶予もないと、独立に向けて最後の追い込み準備を、加速度的に始めたのでした。
その後、幾度かの夜明けを繰り返し、遂に、「金網に手をかけながら」、本意の独立を渇望し続けた、「サロン勤務」の時に別れを告げ、独り旅立ちの朝へ。
​無論、「手掌を開き」、舞い飛び立つ行方、歩き出した先には「竹宙サロン」
皆々、時には常軌を逸した羽目外しで、ご迷惑をお掛けしました。元気で生活していてくれたら、幸いです。また、どこかで、ご縁があれば、お会いしましょう。
セラピスト独立記|整体たけそらマッサージサロン
​加筆後記
当時の記憶を鮮明に蘇らせ、溢れ出す感情を、今書き留めねばと、超長文になってしまいました。
キーボードを打ちながら、幾多の想い出が、まざまざと脳内に覚醒し、穏やかに耽る・思わず失笑する・苦しくなる・涙が止まらないヒトトキもありました。
何も手を施さなければ、薄れゆくであろう記憶を、
この機会に独り内省し、書き留めることが出来て、率直に、良かったと感じています。
このあたりで、一旦、お仕舞にしたいと思います。
追憶回想。
※細字は、2015年に記述した文章になります。(幾分かの手直し・追記・加筆表現あり。)
※太字長文は、2026年・加筆文章になります。
セラピスト独立記|整体たけそらマッサージサロン
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セラピスト独立|整体たけそら|個人マッサージサロン
●独立初期/現在/自己分析
​いざ舟出・独立。しがらみのない新しい出会いから、スタートしたかったので、過去の友人・知人を呼ぶこともしませんでした。周りの大切な方々には、心配をかけたくない為、見栄もあってか、黙っていましたが、これ以上の底はないというゼロからの、ひっそりとしたスタートになりました。誇張するわけでもなく、本当に誰も来ませんでした。(充分な独立準備期間を設けたのにも関わらず、全く世の中に、認知されていない現実を、肌で感じることになりました。)
独立当初は、営業時間13時~深夜3時でスタート。4・5ヶ月後に、15時~翌5時に移行する。(深夜の出張依頼が入り始めた為。)定休日はありませんが、サロン勤務時も同じような生活をしていたので、難局・難儀は感じなく、自分らしいワークライフバランスを続けてきました。(予約のない空き時間・深夜に、サウナ風呂浴・ミニシアター映画鑑賞で、暫し解放・息抜きをする日々。)

現実は厳しいものです。予約の電話が鳴らない。鳴っても、連日しつこい営業の電話ばかり。誰も来ない。孤立無援で風評被害でも起きているのかと、正直、思った時もありました。独立したら、波がサーッと引いていく感じでした。離れ孤島にいるような感覚。でも、閑古鳥が鳴く状況は、これまでの生活でも、いつも付き物でしたし、うだつが上がらず(町田康氏の文筆の如く)・鳴かず飛ばずを良しとする自分らしいなとも思い、腑に落ちる日々。
当たり前ですが、サロン勤務時代は、経営側のマーケティングのお膳立ての下に、施術行為をしていました。基本的に、自身が何も情報発信をしなくても、勝手に予約が入ってくる状態の恩恵を受けていたわけです。(勤務終盤は、「たけそら」個人サロン側からの情報発信の影響で、勤務サロン側の方に、予約が入ってくる状況も、あったとは思いますが。)

 
ただ、いつも心に抱いていた気持ちは、1対1で身体に触れる仕事ですので、セラピストのイメージ・立ち位置スタンスから、たとえ敬遠され続けても、皆に好かれる為(予約を入れる為)、表面上を作り、または偽りの姿(白衣を着た満面の笑顔の写真等)をみせるこはできないという気持ちでした。青臭いようですが、媚びる位だったら、冷や飯を食っていた方がましという気持ち。その心情は数年を経た後でも変わりません。
​現在、目を通すと、私事ながら青二才で非常に恥ずかしいですが、自戒の念を込めて、あえて文章を残しておきます。

※自身の青年時代は、あらゆる環境において、マジョリティ多数派側に、存在していると、感じた事はないので、このような心情になってしまうのでしょう。
青年期のアイデンティティ・個の確立を持って、どんな状況においても、興味・関心事の少数派側としての自尊心を抱いて、自分らしい思想・信念を大切にして、心が揺らぐことはありませんでしたが。
​※集団の中での孤独感を感じてはいたモラトリアム青年期を経て、
いかなる時でも、心穏やかな感情を抱ける位には成熟し、または鈍感化していると思います。
独りで生業を営み、人様と比べる事もないので、柔和な存在でいられます。(固定化した集団内での、人間関係の心理的摩擦がないので、ストレスフリーな状態。)
たけそら業は、クライアントの方と密に接することになるので、普段の生活・日々の暮らしにおいて、独業の寂しさを感じ・心に雲がかかりそうになる事は稀です。
※サロン運営について言えば、自身の興味関心・思想信念が、もしも多数派側の人間であったならば、独立サロン・セラピストとして、飯を食っていくのは、これ程までに苦労する事もなく、もっと楽であっただろう事は、想像に難くないです。
こればかりは、どうすることも出来ませんので、敬遠されること、自身・世の中のさがを受け入れて、軽妙洒脱に邁進するのみです。

​​
あくまでも売りは施術です。整体・マッサージをする手仕事です。ですからWEB上でも、もっと正攻法で、技スキルを前面に出しても良いのでしょうが、自身の持ち味を表現することに、自問自答しながら苦心していました。自分よりも技術のある(自分は技術を研究する身)、またはセンスのある(自分はセンスを磨く身)・徳のある人(自分は徳を積む身)も探せば、この業界・世の中には他にいくらでもいるでしょうから。

奇しくも、結果的に3カ月程の助走期間を経て、低空飛行ながら徐々に回り始めました。ただ、この期間がなかったとしたら、自分自身に対して、嘘・インチキ臭く思えてしまったと思うのです。今日は予約が入った、今日はダメだったと、首の皮一枚繋がる毎日の中で、見極めも必要ですが、サバイブする為に、泥臭くとも諦めない心意気が大事なのだと、心底から実感しました。
※膠着状態から脱出する為、現状のままでは進展がないと思い直し、独立2ケ月後に、整体マッサージコース・半額キャンペーン(60分3000円)を実施して、ぽつりぽつりと、来店される方が現れ始めました。(2ケ月弱の間、実施。)以降は、サロン・タイムサービスを開始する。(現在も、継続中。)
※2025年3月に、経験・技術・知識の蓄積と、物価上昇による施術料金の改定をしましたが、未だ低価格の施術料金(金子の匂わない)に抑えています。
当時から、今日の施術が駄目だったら、明日から施術の予約・依頼はないと、自己を奮い立たせて、現在に到ります。


誰も来ないなら、サロンで待っていても埒が明かないと、自分から外に出ていくべしと、出張業務にも励むことにしました。予約が入れば、営業時間外でも、どんな症状でも、どんな場所・状況でも、振り幅広く・先入観なく受け入れ、臨機応変に、目の前のお客さんに向かい合うことだけで、日々は過ぎて行きました。誰でも良いという方の、やりがいのない出張依頼もありましたが、仕事があるだけで有難いと、無我夢中だったと思います。

この局面で真面な施術が出来るのは、自分位なものだと感じることも、全く理解されずに、徒労感で哀しくなることも、幾度と知れず、あったかと思います。状況の捉え方・解釈によっては、他の施術士には出来ない経験であるとリフレーミングしでポジティブに変換しながら。または、業者依頼感の酩酊爆睡男性の場合は、自身の型・身体動作・呼吸を意識・フォーカスしながら、経験を積み重ねていたという事です。独立初期から、出張依頼で、新宿中心に、規模ランクを問わずの宿泊ホテル巡廻(パークハイアット東京~大久保の路地裏宿まで。肩書問わずの誰とでも向かい合える、自身の特性・性質の成せる技でしょう。)も、良き経験ではあります。
「貴方に是非とも来てほしい。」と訪問依頼をする方の為ならば、現在も、嬉々として訪問先に出掛けています。ご遠慮なさらずに、ご依頼いただければ幸いです。

「たけそら」として、存在としての「誇り」はありますが、くだらないプライドはないのです。(常日頃のセラピストは、腰が低く・物腰が柔らかいかと思います。)

独立当初の、施術がしたくても、出来ない期間があったからこそ、施術が出来る有難みを、感じていたと思います。
現在でも変わらず、選んで頂ける事は有難いと、しみじみと感じています。
※独立初期は、新鮮な心持ちで、宮本浩次氏の「俺たちの明日」「新しい季節へキミと」をウォークマンで聴き口遊みながら、深夜にミニサイクルを意気揚揚と漕いで、訪問先に向かっていた記憶が、懐かしく思い出されます。ここ数年は、移動足は、専ら徒歩メインに移行。遠方は電車・深夜遠方はタクシーがメイン。


地道なWEBサイト更新作業により、インターネットの検索結果も上がって来て、WEB上には出てこない、対面での口コミも自然発生するようになって来たのでしょう。その後も、波はありますが、サロンとしても、セラピストとしても、少しずつ成長し続けています。身体能力に関しても、日々のトレーニングとケアを通して、まだまだ向上・進化している実感があります。
段々と、身体操作の鍛錬に掛ける時間が、1日2時間を超え始めた時期でした。組み入れ・取捨選択作業の年月を経て、現在は、1日90分前後(その日の身体状態で、動き・型の種目・回数を調整。)に、落ち着いています。(身体能力はピークアウトし、年齢と共に、疲労感が抜けなくなっている為もあり。)未だ精神面は、心理スキルの蓄積によって、向上・進化しピークを後押しているのではないかと思います。
※2025年初夏から、サロン勤務以来の深夜型生活を、基本的には朝型の生活に切り替えました。(深夜に施術を行った場合は、昼前に起床の日もあり。)
身体調整作業に関しては、以前と変わらずに、起床後と、夕方前後の空き時間の、日に二回が基本になっています。
​身体状態を意識・確認しながら、瞑想・マインドフルネスしながら、機能解剖学用語を心中で唱え・頭中でイメージしながらの、この毎日の習慣・ルーティンが、サロン・セラピスト活動の下支えです。

 
インディペンデントな個人プライベートサロンですので、これからも自分の色が滲み出てくる存在であり続ける事が大切です。過去の営業マンの仕事経験から、知識・口先で、身になってない健康情報を伝えることは、いくらでも可能でしょうから。自分の感性で実践してきた経験から得た言の葉だけが、相手の心に響く共感を生むことが出来るのだと思います。
※現在は、AIの進化で、ネット上で、幾らでも簡単に情報を入手できますので、尚更、実践体験からの「言の葉」だけが、価値があるのでしょう。

深夜の時間帯は、出張の予約が重なり、留守番電話の無人状態になる時間帯が増えて来ましたが、今後も、バイトも弟子もとるつもりはありません。現状、自分の事・体調管理だけで、独り飯を食うのが精一杯ですし、まだまだ自分だけで徹底的に突き詰め、極める事があり続けます。
20代中盤で弟子として整体院にお世話になり、施術経験を積んだ自分にとっては、下の世代に無償でお返しをするのは、当然の事でしょうが、今は時間的にも金銭的にも余裕がないというのが実情です。数年を経た後でも、状況は変わりません。
将来的には、過去の自分の弟子時代と同じように、金銭関係の発生しない形(月謝なし、給料なし、金がないならば飯ぐらいは食わせる。)での、伝え方が理想です。今でも、「師匠の整体院」には、本当にお世話になったと、ただただ感謝の気持ちだけだからです。

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​​追記「現在の舟行」|コロナ渦でのサロン活動停滞期を経て、物価高の社会情勢に突入し、正直なところ、未だ、以前のような予約状況には戻らない舟行中であります。(月単発的には、順風波乗な時もありますが、年単位では、向風低迷で横這いしている状態。今後、以前までの状況に、大局が戻る事があるのかどうかも、不透明であり、分かりません。成る様にしかならないのでしょう。)
先行きは、常に、雲が掛かり続け、隙間から光芒が射す時は稀である、という感覚がありますが、暗礁に乗り上げた状態ではないので、停滞感を抱えながらも、長年の多局面での多層的な経験・蓄積からか、淀みなく滑らかに進み続けて来たところもあります。
今後も、一期一会の出会いを大切に、人智を尽くして漂い、流れに身を任せて、「透徹な眼差し」を持って、櫓を漕ぐ日々に、変わりはありません。思想・信念を置き去りにして、流れに抗ってまで、舟行を続ける事は、舟底に穴が開いてしまう・櫓が折れてしまうので、出来ないのだと思います。
「いざ、明日は、風向き次第で、何方か、何処へ向かうか、竹宙舟よ。」
※細字は、2015年に記述した文章になります。(幾分かの手直し・追記・加筆表現あり。)
※太字長文は、2026年・加筆文章になります。
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整体院弟子|整体たけそら|マッサージサロン
●澤村整体療術院/原初・院長 澤村宗(空手家・歌手)
​現在も相模原市・古淵駅前のビル内にある整体院。当時は、付近に空手道場「宗風館」もありました。

緊張しながらも、飛び込み・訪問し、弟子入りを志願。何処の馬の骨かもわからない自分を、院長(先ず豪快・豪気で、豊富・多様な人生経験の積み重ねから滲み出る人情味のある方でした。当時の自分に足りないピースである、社交性・外向性、器の大きさ等を全て兼ね備えている師匠でありました。)は、懐深く即断即決で、受け入れて頂き、次の日から通い始めました。自身の施術業の出発点。
メニエール病(回転性めまいと吐き気・自身にとっての初めての病気体験。)発症後の体調不良から回復し、漠然とした今後の抱負(若造ながらの慈悲の心で、身体に触れたいという願い。自身は全く受けたこともない「整体」の施術に興味があり、手ほどきを受けたい。)を、全くもって想定外の知人に話したら、思いがけず「本気でやりたいんだったら、行って来い。」との言葉を、妙なことに受け取り、半信半疑ではありましたが、次の日、口頭と手書きの地図で教えられた場所に向かうと、不意に「弟子募集」の張り紙が貼ってあり、心を決める。細モヒカン・マンバン頭の珍妙青年が、腹をくくって、新たな扉を開けたのでした。
※想定外の知人(後に友人となる。)ー昼間の職場に居た、養護学校(現在の特別支援学校)出身の、同い年の青年。彼のお陰で、「道程」が始まったのです。(彼の紹介だったので、院長は、無下にはできず、初対面にも拘らず、自身が何も語らずとも、信頼してくれたわけです。彼は、幼少期に空手道場に通い、成人後に整体院に施術を受けに通っていた時期があったのです。また、院長は、同じ東北出身という身の上から、放っておけないと、自分に対して親近感を抱いてくれたのかもしれません。)彼を街に連れ出して、時間を共にした思い出も。(
彼は、思考回路がスムーズではなく、言語表現が得意ではなかったのですが、自分には、考えている事・言いたい事は解り、妙に気が合うという感じ。何よりも、恩人でしたから。)
旅立ち前に、最後に「10年後に、また会おう。」と話してから、長い年月が過ぎてしまいました。お互いにオッサンになってしまいましたが、元気でやってますでしょうか。(10年後には、既に「整体たけそら」を旗揚げ・舟出中。約束は果たせずじまい。彼は、当時の、自分の言葉を、覚えていないのかもしれませんが。)
施術は、前半の「ほぐし」を担当して、院長・他先生に繋ぐのが、役目でした。先生が施術中は、脇で正座して、手技を盗むべく集中。施術メモ帳に記述。空き時間は、施術型の独り稽古。昔ながらの師弟間での職人育成「習うより、慣れろ」「見て、覚えろ」での指導法。自分には、放任主義の空気・自由感が、合っていました。受付業務、掃除・片付け、お使い等の雑用も、自分にとっては、意義深い時間でした。
解剖学他の知識に関しては、後に、施術業に舞い戻るきっかけとなる(充電中に、竹林の伐採を手伝っていた際に、思い立ち・決心する。)、中医薬大学日本校に通う際に、机上で勉強し始めました。
当時は、弟子扱いでしたので、給料もありませんが、たびたびメシ飯も出して頂き、有難かったです。しばしば使い走りタバコ代のおつりの小遣いも。昼間は、他所で働き、夜間・週5,6日、通う日々でした。弟子期間中は、整体院での業務終了後に、衝立裏の茶の間での院長との瓶ビール時間で、幾度となく「自分で整体をやれ」と言われていたものです。(具体的な自立方法を、提示して頂いたわけではありません。「お前には何でも教えてやる。存在を感じろ。夢を持て。」「お前の後ろ盾には、俺がいるんだから、大丈夫だ。自身を持て。」「笑う時は、ガッハッハと笑うんだ。」ということだったのではないかと思います。)
※余談ですが、お酌しながら院長(携帯電話の着信音が「水戸黄門あゝ人生に涙あり」)の昔話を聞くのは、味わい深い時間ではありました。自身は、合間にポツリポツリと、身の上を話す程度だったと思います。当時は、「仏像彫刻でストイックな自己解放生活」を経て、「臆病青年が挑むーオマエみたいなガキが来るような処じゃねえよ」路地裏横丁の立飲み・モツ焼屋で吹き溜まり感漂う「人生酒場巡り」を経ての、弟子生活でしたので、院長との肴・手酌酒時間は、沁み沁みと味わい深く、有難かったのです。ジャズ空手話やら道路工事整体話やらギター漫談やら奇術手品やら姓名診断やら膝上血海ツボ包丁突も、懐かしく思い出されます。深恩義。
未だ「この師匠にしてこの弟子あり」には程遠い「たけそら」ではあります。

当時は、先の道筋が見通せず、施術で自立する事は、皆目、見当もつきませんでしたが。院内のマットの上で、ほろ酔い安堵の寝泊まりをして、早朝に、仕事に向かう日も多かったです。
​温かい処であり、自分の居場所・拠り所になっていました。懐かしい日々です。大変、お世話になりました。感謝・深謝です。
その後、短し弟子生活に区切りをつけて、時を移さず、「四国野宿遍路」へ。
不肖の弟子でありました。追懐。

たけそらセラピスト
​●「四国野宿遍路旅」ーある日の夜、整体院からの帰り道、門下の先生から、何気なく「溝延君みたいなのは、四国に遍路に行った方がいいんじゃない。」との言葉を頂き、その場で即座に、「僕、行きます。」との言葉が、自身の深奥から出てきました。(元々、秩父・坂東観音霊場は徒歩巡礼を終えていたので、四国遍路も、いずれはという気持ちもありましたが、現実的ではないので、心に蓋をしている状態ではありました。)先生は、思い悩む青年の、何かを感じ取っていたのかもしれません。整体院の弟子生活に区切りをつけるなら、昼間の仕事をする意味もなかったので(整体院に通うために従事し、本来やりたい仕事ではないので。)、昼間の仕事場に退職の願い・胸中を告げ、消化していない有給休暇の10日余りの期間に、派遣の日雇いバイトをして、野宿旅の資金・小銭を貯めました。(お接待ありの野宿旅と言えど、真夏の炎天下での飲食費・玉のように噴き出す汗を流す風呂代・お賽銭と御朱印代は、必要ですから。)
名残惜しき弟子生活に別れを告げ、モヒカンを断髪・刈り落とし、学生時代以来の坊主頭で、夜明けと共に、鈍行列車を乗り継いで、バックパック青春旅へ。
満身創痍の一念発起。ここぞという時には、自身の下に、有難き言葉が、身近な方々から届くのでした。背水之陣。

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現在の溝延君は、お酒を嗜む習慣は、無くなりました。直(溝延青年)を「何とかしてやらねば」と、院長始め先生方は、親身になってくださいました。親心で、たしなめられる事も度々あったかと思いますが、それもまた有難かったのです。現在、最低限、飯は食って来れましたが、何とかなったのかは、自分には、分かりません。(ポテンシャルのある存在と言われ続けて、一向にブレイクスルーする気配もなく、年月ばかりが過ぎてしまった感もあります。これもまた竹宙らしく善き哉と。)
※追記1。その後も、整体院に節目・節目で顔を出し、近況報告をしていましたが、独立後は、足が遠のいてしまいました。門下の先生が、ネットで発見してくれたのでしょう。メールで連絡を頂いた際は、嬉しかったです。院長始め先生方、これからも元気で長生きしてください。
※追記2。デリケート・センシティブな内容を含みますので、最後まで、「想定外の知人とは誰なのか」を書き記す事に、逡巡し、二の足を踏みましたが、「整体院弟子章」に、書き残さなければ、独立記自体も終われない(当時の自身の魂の救済)と判断し、書き倦ね状態から脱却して、記述しました。
そして、何よりも、道の始まり・きっかけを与えてくれたのは、「彼」でしたから、独筆しないわけにはいかないのです。
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身体/施術ワークショップ|整体たけそら|マッサージサロン
●身体/施術ワークショップ
2024年夏から、メインのサロンワークではありませんが、ご要望があれば、「身体/施術ワークショップ」を始めました。
サロンの経営基盤を成り立たせる為に、行う形態ではありませんので、定期的に開催している会合ではありません。
過去の自身の経験から、切実な強い想いのある方には、無償で行う事を前提としています。

身体/施術ワークショップ|整体たけそら|マッサージサロン
指導する人・団体が、世の中、数多ある中で、奇天烈・風変わりな「たけそらセラピスト」から、手ほどきを受ける行為は、伝統芸能・工芸の世界に弟子入りする位に、甚だしくニッチな奇特な行為になるかと思います。
​九分九厘以上の方は、一般的な社会的成功とは無縁のたけそらセラピストに、教えを切望・希求することは、毛頭ないでしょう。
それ故に、当方から積極的に、ワークショップに関して、誰彼問わず、働きかけることは、皆無です。

たけそらセラピストは、「独り一派」ですから、再現する事は不可能なのでしょうが、貴方個人の生活の積み重ねがあるでしょうから、その基盤の上で、得られる心境・身体の認識があるのかと思います。(論を俟たずして明白ですが、仏像彫刻を始める事から着手し、始動して頂きたいと、考えているわけではありません。)

情報が溢れるネット社会の現在では、安直な場当たり的な考え・SNSのタイムライン広告等での出会いでは、可能性の無駄遣いであり、勿体ないです。下手をすれば、営利目的で搾取されるだけの機会になるかもしれません。如何程の時間を費やしてでも、指針となる存在・教えを乞う存在を、血眼(ちまなこ)になって、探し求め、訪ね歩いた方が良いかと思います。最初に踏み出した一歩で、その後の道程が決まるでしょうから。気概のある若き方々の、ご健闘をお祈りいたします。


いずれにしても、自身の過去を顧みると、情報入手が困難な時代ではありましたが、善き方々との出会いは、「手掌掬い」の泥水をすする境遇の只中での、偶然ではありましたが、運命的な巡り合わせ・邂逅だったのだと思います。泥中之蓮華。
手掌/蓮華|たけそらセラピスト
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身体/施術ワークショップ
身体・施術ワークショップ/泥蓮|セラピスト独立記
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独り一派/旗揚げ|整体たけそら|マッサージサロン
●「独り一派/旗揚げ」
「個人サロンを始めたいという意欲・希望を持ちながらも、金銭・人脈がなく、あがき・もがく若き方々がいるならば」
※20代終盤~30代後半位迄の方々を想定しています。以前・以降の世代の方々にも、参考になる観点はあるかと思います。
※自己啓発的な内容を含む文章になっているかと思います。

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​大丈夫です。本気でやりたい事であるならば、本気で取り組む強い想いがあるならば、金銭・人脈が何もなくても、舟を漕ぎ出せます。(高給取りの脱サラ・水商売経験での金銭・人脈等、がなくても始められます。)漕ぎ出す先が、何処なのかも、誰が乗ってくるのかも、泥の舟に乗って沈むのかも、貴方次第です。

金銭・人脈が何もない方々は、自分のやりたい事の方向性が、金銭・人脈に直結しない方々(極端な例えで言えば、地面にスコップで穴を掘り続ける・小石を集めて積み上げ続ける事が、やりたい事だとしても、誰からも称賛・賛同を得ることはないでしょうから。)なのでしょうが、自身の性質・特性を肯定しながらも、流れを受け入れて、調和・融和し(再度の例えで、鉱石採掘・遺跡発掘で穴を掘る、オルタナティブアート作品として石を積む等に、価値転換をする。)、乗り続けるしかないのです。(他者の役に立つ・為になる手技・存在になるので、自分に還元され、商売・生業になる。)
ある時は、追い風を受けて、順風満帆しながら。時には、向かい風を受けて、岸辺に停泊を余儀なくされながら。いつ終わるとも知れない渦巻く渦中にいながらも、俯瞰する洞察心で、風向き次第で、果てしなく独力漕・帆走し続けるだけなのです。
​

全ては、創意工夫と熱意です。エキセントリックな「たけそらセラピスト」よりも、苦労することはないでしょう。(ですので、迷いを捨てて、臆することなく、個人サロンを開業し、やりたい事を、貴方のスタイルで、稼業とした方が良いのです。好きな事をしているので、全力でエネルギー想いを注ぎ込む事を、努力とも感じないでしょう。明日がどうなるか分からない不安定性などの、デメリットがあるのは、始めから分かっている事ですから、粉骨砕身の精神で、邁進するのみです。)後になって後悔しない為にも、ゼンシンゼンレイで、日々の全てのワークに、取り組んでください。賃貸物件の2年後の家賃更新を待たずして、廃業することになっては、勿体ないです。

サロン・セラピストの存在を証明する為の、受け売りの虚飾・虚栄ではない、生身の身体の思考・行動で、ありとあらゆる可能性を使い切って、それでも駄目ならば、諦めもつくでしょう。富裕層の方々は、金銭の匂いのある側に、足が向かうという傾向はあるでしょうから、見向きもされないかもしれませんが、貴方のサロンのスピリットに価値を感じてくださる方・共感してくださる方・面白がってくださる方も、絶対に何処かに存在するはずです​。

馬鹿にされても、放っておきましょう。貴方のサロンの世界観とは、波長が合わないだけです。(打たれ続けてボロボロになっても、耐え忍ぶしかないのです。打ち疲れ状態の相手に、カウンターの一発を打ち返し、相手がマットに沈んでも、自身が虚しい・哀しいだけですから。相手にしないで構いませんし、自身が暖簾状態で、張り合いがなくなると、自然に目の前から、居なくなります。そもそも、相手は勘違いして何も理解していない状態ですし、くだらないプライドにより認めたくないだけかもしれませんし、誤解に気付いても、謝りもせずに、姿を消すだけです。世の中、度量の狭い・狭量な方々は、多かれ少なかれ一定数いるものですから、仕方がないのです。その方々は、貴方のサロン道程の登場人物ではないし、エキストラでさえないのです。)

​いずれにせよ、
自分のやりたい事に熱中していると、周り(目と口と感情)など気になりません。また、此れ見よがしに、アドバイスをする方々の言う事を、鵜呑みにしても、何も生まれません。親身になってくれる無二の親友だけが頼りです。そして、大事なのは、出過ぎた杭は打たれないという側面もあるということです。次元の違う・突き抜けた存在は、呆気に取られるということでしょう。

​金銭・人脈あり、けれどもスピリットなしの個人サロンが存続して、金銭・人脈なし、然れどもスピリットありの貴方の個人サロンが消滅してしまっては、それこそ馬鹿な話です。そして、自分に対してナニクソ精神で、昨日の自分を見返してやりましょう。自分に負けないでください。
そして、セラピスト其々の、歩む道程は、千差万別でしょうから、個人サロンに、いわゆる成功(定義は人其々ですが、自身は、身の丈の恩返し・社会貢献だと思います。)の方程式などはないと思います。軸のある貴方の、日々の在り方によって、道筋に見通しが立って行くのではないでしょうか。

貴方の個人サロンの主人公は、貴方です。貴方の物語を紡いでください。他個人サロンを比較・参考にしても、くたびれ損です。他個人サロンとの勝負などでは、ありません。二番煎じ・三番煎じに成るだけですし、日々の積み重ねが、水泡に帰する事になるかもしれません。誇り語れる経歴がないのであれば、今から創り上げれば良いだけです。貴方が突き詰めて探求したい施術または事柄で、サロン存在を証明するべきですし、地道な経験と、結果となる実績を経て、サロン存在の思想・信念を創り上げていくしかないのです。但し、狭きお山の大将になっても、見栄を張るだけで、意味がありませんから、全ての心優しき孤独な方々に向けて届ける事を目指して(たけそらセラピストが、独立当初から、考えているミッション使命です。)、貴方のサロンの存在を発信するべきだと思います。

また、既存のルートは、混雑していて、後発の存在では、全く通り抜ける事はできないでしょうから、道なき道を歩み続けた方が、目的地に辿り着くことが出来るかもしれません。​短期間では徒労に終わるような、先の長い地道なトンネル作業も、信じて続けていくことで、けもの道を抜けて、視界が開けるのではないでしょうか。貴方の指先のアンテナを視界の先に張り巡らせながら、いばらを掻き分け掻き分け、前に進み続けることです。

そもそも人気・個人サロンなど、本当に存在するのかどうかも、自分には分かりません。自称人気サロンは、掃いて捨てる程に存在しているのでしょうし、友人・知人・前職での人脈を生かして、運営しているだけかもしれませんから。
※天地返しで、世の中の価値感が、ひっくり返らない限り、
「たけそらサロン」は人気サロンなどではありません。多様性を受け入れる社会と言われ続けて久しいのでしょうが、風変わりな「たけそらセラピスト」の世界観が受け入れられていないのであれば、多様性を尊重する社会には、程遠いのでしょう。また、当のたけそら本人は、承認欲求が欠如しているので、世の中に認めてほしいと感じながらサロン運営をしているわけでは、全くありません。(届いてほしい方々の琴線に触れることが出来ればと感じているだけです。)もしも、人気サロンなどに成ったら、世間の手の平返しに、眉唾な居心地が悪い、世俗の渡世だと感じてしまうことでしょう。

話は逸れましたが、最後の踏ん張りは、インディペンデント・スピリットと反骨心・ハングリー精神です。
是非とも、貴方も、有為転変の無常の世の中に、栄枯盛衰を乗り越えられる存在として、心優しき、独立独歩「独り一派」の旗揚げを。
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独立心/志/道程|整体たけそら|マッサージサロン
■「独立心/志/道程」
「独立心と志を持ちながらも、他に何もなく、途方に暮れる若き方々がいるならば~独立までの道程~」
※20代中盤~30代前半位迄の方々を想定しています。以降の世代の方々にも、参考になる観点はあるかと思います。
※自己研鑽・錬磨的内容を含む長文章になっているかと思います。

サロン・セラピスト独立
​志があれば、何もなくても、大丈夫です。金銭がなければ、運命の「師匠」を探して、「弟子」になる道があります。(貴方という存在を、無償で親身になってくれる方は、何処かに必ずいるのだと思います。諦めないでください。まだ何も始まっていないのですから。)生活費の工面に関しては、昼間か夜間に、別の仕事に従事して、持ち堪えるしかないです。弟子という目的のある生活の為、精神面では充実した日々になると思います。弟子生活に区切りをつけた後は、自分で新しい道(他所で、整体院・サロン勤務をするのか、はたまた、畑違いの仕事に従事するのか)を切り開くしかありません。(長期間の弟子生活に関しては、自分は分かりませんが、師匠の整体院を引き継ぐ・暖簾分けをしてもらうのであれば、良いとは思います。解剖学の独学が必要になるのは、言うまでもありません。)
※世の中は、平等ではありませんし、身の上を嘆いていても、何も始まりません。思い立ったら、即座に、行動あるのみです。充実した毎日を送れば、お金がなくても、心は豊かですから。また、初期衝動を起こす為には、一旦、底の底に沈殿してから、猛烈に浮き上がる必要があるのかもしれません。そこまでの想いの奮起がないのであれば、授業料を分割・複数回払いにお願いして、専門学校・スクールに通う方が、無難でしょう。
※「小さな勇気」と、「初めの一歩」が大事なのです。施術未経験歓迎のほぐしや的整体・マッサージサロンに、弟子という存在ではなく、給料を頂きながら、全く未経験の状態で、安直に勤務を開始することも、リラクゼーション需要のある業界ですから、可能ではあります。しかし、指導する店舗の店長・スタッフは、当然ながら、師匠ではありません。仕事・金銭関係のある中での繋がりは、かりそめ・その場限りの利害関係のある繋がりであり、所詮、心奥の深い繋がりはないでしょうから、自分は、お勧めはしません。(御座なりの一歩には、その後の道程はないと思います。)

サロン・セラピスト独立
貯金があるならば、「専門学校・スクール」(本気で勉強すれば、1年制で十分でしょう。)に入校することです。どの程度の山を登り詰めることが出来るかは、カリキュラム次第という面もあるでしょうが、本人の意欲があれば、創意工夫で逆境を跳ね返し、何処の学校・スクールでも、大差はないのではないでしょうか。本気でやる気のある方は、環境の良し悪しに関わらず、刻苦勉励し、遠くない将来に、頭角を現すことになるはずです。20代前半迄ならば、3年制の専門学校に通い、世間に認知されている国家資格を取得した方が良いのでしょうが、社会人になってからは、そんな悠長な事をやってられないでしょうし、気長に気持ちを持続させるのは大変でしょうから。いずれにしても、人其々です。
※
学校との相性・出会いが、殊更、大事です。また、授業料が高額だから、質の高い授業が受けられるとは限らないですし、低額だから質が低いとも限らないでしょう。老舗校が良いのか・新興校が良いのかも、貴方次第でしょう。自身は、一切、他の学校と比べる事をしませんでしたが、運が良かったのだと思います。出来れば、入念に、比較・検討してから、入校を決めた方が良いのでしょう。
​さらに、相性の良い学校・スクールの中には、「出会うべくして出会う人」が、いるかもしれません。気になる方がいれば、貴方の方から、思い切って話掛けてみると良いかもしれません。(待っていては、何も始まりません。)貴方の生活・今後の道筋に何らかの影響を与えてくれる方、分かり合える方に、巡り会えるかもしれません。貴方の心の懐を開き、相手の心の懐に入ることです。
※民間資格は、取得しても、お飾りに過ぎませんので、取得に拘らなくて良いかと思います。実際に、自分にとっては、中国整体士の資格証は、サロン内のお飾り状態・置物と化しています。(蝋燭の火で燃やせば、灰燼に帰すだけの紙切れです。学生時代の勉励の記憶と思い出のみが、今も宝物です。)ご新規のクライアントの方々を、最低限・安心させる事が出来る効力は、あるのでしょう。資格・ディプロマ等を取得しなくても、日々、研鑽を積み重ねていれば、生の施術で、クライアントの方に安心を伝えられると思います。

サロン・セラピスト独立
たけそらセラピストのサロン勤務状態・状況を、反面教師的に、受け取ってもらった上で、自身が考えるベストな「独立までの道程」を提示します。インディペンデント・個人プライベートサロン先達|「たけそら竹宙流手引書」とでも申しましょうか。
決して、たけそらセラピストのサロン勤務時代(連日勤務)は、見習わない方が良いです。誰も真似はしたくないし、出来ないのでしょうが。


学生生活(特殊なケースとして師弟生活)を終えた後は、サロン勤務に進むことになると思いますが、勤務することになるサロンも「御縁」です。貴方と相性の良いサロンが、何処にあるのかも分かりません。サロン勤務は、2年程は継続された方が良いかと思います。※スクール在籍時に、サロン勤務の片手間バイトをして、スクール卒業と同時に、個人サロンを開業する方もいるのでしょうが、自分は、お勧めはしません。(社会人としての経験が長く・豊富な方は、大丈夫なのだと思います。)
要は、専門学校・スクール1年+サロン勤務2年の「石の上にも三年」です。「虚仮の一念、岩をも通す」の心持ち。
その後は、「セラピスト」と自称しても良いのではないでしょうか。それ以前は、「何者でもない人」でしょう。
徹底した基礎トレーニングという土台がなければ、何も積み重ねられません。安直な個人サロン開業は、お勧め出来ません。個人事業主として、開業することは可能ですが、開業後の困難な局面に、立ち向かう際に、自分を信じられなくなります。
また、普段は「クライアント」の方々の、身の上話・職場話を傾聴して、時に軽妙なユーモア・ウィットに富む受け答えを挟みつつ、対応していれば万事・事なきを得るのでしょうが、施術家として携える専門知識を含む核心を、クライアントの方々に聞かれた時に、即座に、スパッと明瞭・事理明白に、尚且つ、解り易く、答えなければなりませんのくで、常日頃の勉励が、必要不可欠になります。(普段は、研ぎ澄ました隠した爪・能ある鷹は爪を隠す状態。「この人、ちゃんと解ってて施術してるのかな。」とクライアントの方々に思わせる程に、くだけた会話をしていても、施術原理・症状・身体状態について、聞かれた時に即答出来れば、良いわけです。さらに、サロン勤務中は、未だ修練中の身ですから、即答出来ない質問に対しては、専門知識の無さを、はぐらかすような安易な回答や、関心をそらして関係のない方向性へ話題を振るよりは、「発展途上の修行中の身ですから、自分には分かりません。次回迄に勉強しておきます。」と回答した方が、クライアントの方々に、信頼されると思います。)

サロン・セラピスト独立
●1年目は、施術経験を積み、サロン業務全般を覚え、サロン内の1年の流れ(春夏秋冬)を掴む必要があるでしょう。出勤から退勤までの1日の業務を、ルーティンワークとして、身体に沁み込ませることが大事です。また、業務に慣れてきたら、週6日の鬼勤務をして、独立費用の為の貯金をする必要もあるかと思います。英気を養う休養日は週1日で十分でしょう。
※期待と不安が入り混じるスタートからの1年目の期間は、新しい環境でのワークで、施術士としても新鮮な日々です。先ずは、独立心は、心の片隅に仕舞い込んで、普段の日常では、考えなくても良いでしょう。何より、貴方と相性の良い仲間に恵まれて、心の亀裂なく、楽しく働ければ、順調・上々の日々です。勤務後に共に飲食出来る、サロン退職・独立後も交流できる善き仲間に出会えると最高でしょう。結局のことろ、最後は、人との繋がりだけが、残るでしょうから。(楽しき思い出も。)

●2年目は、出勤日を減らし、週5日の安定勤務に移行。独立準備1日。休養1日。新鮮な心持ちを保持し、施術手技を研鑽しながらも、お世話になっているサロンへの「恩返し」として、
・後輩セラピストを1人前に育て上げる。先輩セラピストとして、スタッフ育成システムを練り上げる。
・サロン業務が更に円滑に廻るように、経営者・マネージャーと一緒に、サロン内システムを創り上げる。
・自身がいなくなっても、サロンブランドを維持・継続・発展していけるように、後輩に引継ぎ作業をする。
※面白味に欠ける真面な事を書いてしまいました。勿論、たけそらセラピスト自身は、上記の任務を、遂行出来たわけではありません。ご参考までに。
※2年目に突入にしたら、サロンの状況次第で、勤務日を減らし、初歩の初歩から独立準備に、着手し始めるべきです。慣れ親しんだ勤務サロンとの別れを意識し始めるのは、寂しさも過りますが、本来の目的を見失っては、本末転倒です。
ふとした瞬間に、勤務サロンの業務に対する、多少なりともの惰性感が、心の中を支配してしまう事がないように、早めに、独立に向けての、現実的な下準備を、休日を使って、始めたいところです。いざ準備に着手し始めれば、生活に張りが出るので、サロン勤務時の心持ちにも、良い影響があるでしょう。
大事な点は、貴方の独立心・勤務サロン退職迄の道筋を、勤務サロン側が理解・応援してくれて、勤務サロン側にも、上昇気運の相乗効果を引き起こし、共に協調して、独立までの期間を歩めるかでしょう。「たけそらセラピスト」には、出来ませんでしたが。


週1日の独立準備日は、準備万端・万全の態勢で独立日を迎える為に、1年間程の長期間の時間を割いた方が良いです。時間を掛け過ぎということはないです。細かい手入れ作業(内装・WEB)で、いくら時間があっても、足りない位だと思います。
※自身は、サロン勤務の最終年期は、勤務時間前後に、毎日のように準備時間を設けましたが、内装作業の手直し改善・WEBサイトの更新作業(自身の生活の振り返り記述作業)において、次から次に、表現したい事が溢れ出てくるので、時間は掛かりました。ここぞとばかりに、長年の間、溜め込んだ表現欲を解放し吐き出す期間でもあったのでしょう。

サロン・セラピスト独立
​●物件探しと内装ー探し途中のタイミングで、「ここしかない」という直感・確信を持てる物件が見つかってしまったら、直ぐに賃貸契約して、内装のイメージ創りと、素材・材料を仕入れ、作業準備に取り掛かった方が良いです。素材・材料は、ホームセンターや東急ハンズ等・WEBショップで仕入れられます。自身でノコギリ作業は無理だという方は、お店にお願いすれば、素材・木材を指定した長さに切断・穴加工してくれます。
DIY精神で、テーブル・イス・小物類も、自作すると良いかもしれません。例えば、以下も良いかもしれません。
・絵心がある方は、壁一面の特大キャンバスに油絵を描く。大判布地に刺繍を施す。
・市販のモデル・解剖学書を参考に、粘土製の等身大の人体骨格模型を作成する。
・たけそらセラピストのように、看板群・置物類・ロゴを彫刻・塗装する。

大切・大事なのは、貴方の独自の世界観を表出・具現化することです。施術業界に、独特な小さな価値ある風穴を開けることです。
※出来れば、サロン開業の半年前には、物件を決めておきたいところです。3か月程度では、簡易な内装作業しか出来ないでしょう。
※都心から離れれば、比較的安価で物件が見つかるでしょうから、古い一軒家サロンも可能だと思います。
※物件の立地選びは、激戦区云々ではなく、貴方が何処の街に馴染む性質なのか、何処の街でサロンを営みたいのかという事でしょう。都心の高級な住宅街の路地裏、サブカルチャーの匂いのする雑多な街、自然豊かな郊外の閑静な住宅街なのかは、貴方次第でしょう。貴方の施術だからこそ受けたい方は、どんなに辺鄙な場所に開業しても、足を運んでくださると思います。
何はともあれ、インディペンデントなサロン磁場創りが全てです。自身が納得出来る迄、徹底的に、手を入れ直し続けることです。

サロン・セラピスト独立
●ホームページ作成ーワードプレスがベストでしょうが、たけそらセラピストの独立時代とは話が違います。WEB進化の現在は、ブログ機能のある無料サイトで、自身で作成・更新するだけで十分でしょう。
※このWEBサイト(たけそらホームページ)は、「WEEBLY」ホームページサービスの無料プランで作成しています。自身も、旧ホームページ(ワードプレス)開設後の独立以来、試行錯誤しながら、複数の無料ホームページ作成サービスを利用してきましたが、このサイトが最終的に、自身の感性と相性が良く、ホームページとして重宝利用してます。
複数のサービスを比較・検討して、貴方の感性に合うホームページサイトを選びましょう。実感として、SEO観点でも、大差はないですから、そこは考えなくても良いかと思います。

ホームページは、金銭に余裕があっても、WEB業者に依頼しない方が良いです。サイトを自身で管理して更新できると、情報発信のフットワーク軽く・スピード感がありますし、何よりも、オウンドメディア内で自由に表現活動が出来て、楽しいですから。自分などは、20代中盤に、ゴミ捨て場のキーボードを拾って持ち帰り、イメージして触り始めたところから、パソコン作業がスタートしてますから。(職業訓練の委託PC専門学校で初歩から学ぶ。)安心してください。苦手意識がある方でも、誰でも出来ます。諦めないでください。
個人サロンですので、如何にも業者感のあるホームページが良いということでもないと思います。想いが伝わる手創り感は大事です。

また、独立後も更新し続けていくことになりますので、最初の土台創りが、大事になってくると思います。入念に、サイトマップ構想を練った方が良いでしょう。
SEO(検索エンジン最適化)に関しても、取り組む必要がありますが、拘り過ぎなくても良いかと思います。たけそらサロンの独立期は、試行錯誤の独力で、WEB業者が管理するサイトよりも、メイン・キーワード検索で上位表示させる事が、辛うじて可能でしたが、その後は、美容系ポータルサイトに検索結果が独占される状態になっていますし、見る影もないという状況です。(独立初期は、ホームページ・SNSサイトが「新宿 整体」「新宿 マッサージ」検索で11~20番目までは可能でした。)
※近年、AI検索・AIオーバービュー機能で、AIが自動生成した概要が、GOOGLE検索結果の最上部に表示されていますが、いずれにしても、上位表示されているサイトが、要約結果にも表示されやすい状況のようです。LLMO(大規模言語モデル最適化)対策に関しては、WEB・AI検索エンジン(CHATGPT・GOOGLE GEMINI等)の今後の動向次第という事でしょう。
また、グーグルマップ上にサロン情報を掲載した方が良いですが、WEB業者の大量口コミ(クライアントの方々は、口コミを投稿しません。)がないと、個人の独力では上位表示はされませんので、MEO(マップ検索エンジン最適化)に関しても拘らずに、登録+簡素的情報掲載のみで良いでしょう。(ホームページへのリンク・電話番号、住所を掲載すればクライアントの方が、サロン来店時にマップでルート検索が出来ます。)
取り組む意欲があるならば、確実に需要はあると思われ希少性もある「ニッチ・キーワード」で上位表示を目指すのみです。また、ニッチ・キーワードでさえも、検索結果に上位表示されないのであれば、WEBサイトの構造を根本から見直す必要があるでしょう。
いずれにしても、ホームページのコンテンツの充実(質・専門性・網羅性の高い、面白くて新しくて普遍的)に努めることが、全てです。そして、金銭・人脈を生かして独立するのでなければ、ホームページ・SNSで貴方のサロンの存在を認知・見つけてもらわなければ、世の中の誰にも、貴方の施術を届けることが出来ませんので、繰り返しになりますが、独立後も地道に、表現活動を楽しみながら、サイト更新をし続けることが必要です。貴方の施術を必要としてくださる方々は、何処かに、必ずや居ます。労力を惜しまず、手間暇をかけて、貴方の存在(サロン・セラピストの世界観)を自作ホームページで、創り上げて、届けましょう。
※簡易的なホームページ作成、またはホームページを作成せずに、ホットペッパービューティーに掲載すれば良いという安直な考えには、勿論、賛成出来ません。

※SNS(X・INSTAGRAM他)+ブログ(現在は、NOTEが良いようです。文才のある方は、継続して、日々の夢中・没頭、パッション情熱、時には徒然・無為徒食の一時を発信するべきです。さらりと読める文体だけでは、通り過ぎるだけの存在として、心に沁み込まず・印象薄く受け取られてしまいますので、共感・感情移入して頂く為に、身体性のある文章で惹きこませる・文章表現に引っかかりをつける等、推敲を重ねる事も必要になるかと思います。)で、独立準備記の情報発信をするのも良いでしょう。もしかしたら、その後、お客様になるかもしれない誰かの目に留まる可能性もあると思います。
※LINE公式アカウントも開設した方が良いです。予約の受付がLINEトークで出来ます。(たけそらサロンは、LINEトークでの予約が半数程度あります。また、プロフィールは、パーツ数最大20個を、使い切って設定してあります。ここまで過度に更新する個人サロンは、他に見当たらないのかもしれません。)
※YOUTUBEチャンネルを開設して、動画投稿でセラピスト・サロンのアピールも、必要になるかと思います。(たけそらセラピストは、開設してません。)
※いずれにしても、先ずは、無料で出来る事は、全て手を尽くして、存在をアピールしましょう。(未だ、誰にも、存在を認知されていないのですから。)その後、取捨選択して、貴方のサロン情報発信に合わないものは、更新しなければ良いだけです。また、いいね・フォロワー・友だち数が、一向に増えない・少ない事を、気にしなくても良いのです。不特定多数の方々には、響かないのが、個人サロンの情報発信です。WEB上でのファンが少ない状態は、恥ずかしい事ではありませんから、見栄を張らずに、気にしなくて良いのです。(たけそらサロンの、フォロワー・友だち数は、独立当初から現在まで、極端に僅少ですが、施術予約は、閑散ながらも、ぽつぽつと入って来ましたから。また、クライアントの方々にしてみれば、少ないフォロワーの中で目立ってしまう・プライベートの情報を知られたくないので、フォローしづらいという面もあるのかと思いますし、こちらから、フォローを促す事もありません。世の中に対しての、自己顕示欲の無い、日々の馬鹿正直な研鑽生活の賜物でしょうが、ここまで過度に、誰からも反応されないのに、長年の間、更新し続けられる個人サロンも、他に見当たらないのかもしれません。褒められた事ではないですし、推奨は出来ませんが。)

サロン・セラピスト独立
●施術金額設定ークライアントの方々の大切な生活資金の中(余剰の部分)から、施術代金を頂くことになるのです。
貴方の個人サロンのファンになってくださる方々は、他の出費を差し置いて、何とか施術代金を工面してくださり、通ってくださいます。

※施術サロンの存在が、全ての人々に必要なわけではないのです。サロンで施術を受けなくても、多少調子が悪くても、人は皆、生活していけますから。(当たり前ですが、人の頭髪は常に伸び続けるのですから、定期的に美容室サロンには通うわけです。)
施術に見合わない高額な金額に設定するべきではないのです。まだ駆け出しのセラピストなのですから。また、他個人サロンと施術金額を比べても、意味を成さないでしょう。クライアントの方々の満足度が全てです。施術代金が安価過ぎると、チップを置いていかれる方々もいらっしゃいます。
個人サロンスタート時は、勤務サロンの施術金額よりも、1~2割程度、低めに設定した方が良いのではないかと思います。勤務サロンのブランド力が高いのであれば、尚更です。(駅前の安価ホグシヤ的サロン勤務の場合は、同等の施術金額設定でも、大丈夫でしょう。個人サロン施術では、流れ施術作業から解放されて、ホスピタリティ精神を、発揮する事が出来るからです。)
先ずは、世の中の施術サロンを探す方々に、貴方の個人サロンの存在を体感して頂く為に、辛抱我慢の金額設定でしょう。
※実際、たけそらサロンも、独立当初に、期間限定で施術金額を半額に設定したら、ちらほら・まばらに、予約が入り始めました。独立直後は無論、閑古鳥状態。
緩やかに漸次に、時運の波に乗り、状況次第では、段階的に施術代金を上げる事も、視野に入れて良いのでしょう。
※施術金額改定は、貴方の個人サロンでの、充分な施術経験を積んだ後ということでしょう。施術第一であるべきですので、貴方のサロンのブランド力が形成・構築される以前の段階においては、高額な金額設定をするのは、主客転倒です。極端な事を言えば、サロン運営の必要経費を賄える額での、無償とも言える金額で、施術を提供しても良い位だと思います。プライベートの生活費は掛かりますから、銀行の口座残高が、じわじわと減り続け、真綿で首を絞められる運営・生活状況が続きますが、志ある方々は、皆が通る道だと思います。また、根拠のない金額設定は、見積書の一式表記と一緒です。くれぐれも、詐欺まがいの存在になってはいけません。
トントンで生活出来れば良いと腹を決めて、ホスピタリティとエンドレス・ギブ精神でサロン運営すれば、営利目的から距離を置けますので、セラピスト自身の充足感も高いですし、尚且つ、クライアントの方々の信頼を得られます。

セラピスト独立記|整体たけそらマッサージサロン
まだサロン内で学ぶ事があるという確信があるならば良いでしょうが、サロン勤務が長期間に渡ってしますと、しがらみが生まれ(自身のサロン勤務を振り返ってみても)、足が抜けられなくなります。独立という本来の目的が、遠のいてしまうかもしれません。サロンの状況次第にもなりますが、自身のタイミングで、サロン勤務に区切りをつける決断をしなければならない潮時が必ず来ます。その時が来る迄、白眉・至高の存在になって飛び立てるように、手技・感性を磨き続けるのみです。
※勤務サロンの業務に対する惰性感が出始めたら、潮時かもしれません。その時点から独立の準備を始めても、遅きに失するかもしれません。また、何か突発的な事態(経営側判断の勤務サロン閉店等)が起こった場合でも、直ぐに行動に移せるように、独立に向けての入念な下準備だけは、秘密裏に、しておくべきです。
※リラクゼーション系のサロン勤務は、日々の手技・身体の基礎鍛錬・解剖学書の読み込みの土台(尚更、独立後は、必須・必要不可欠)に支えられているのならば、結果的に長期間の勤務(最古参のスタッフになり、指導してくれる存在がいなくても)になってしまっても、独立という行為自体は可能であると思います。
※今後の身の振り・自己実現を何も考えずに、生活の為に勤務し、長期間の勤務を続けているのであれば、井の中の蛙状態で、施術行為に
全く進歩がなく、固定化した独自の手癖のままで、施術が現状維持どころか、むしろ惰性感で経年劣化する可能性もあるということは、最後に書き残したいと思います。そして、研鑽を重ねた専門技術を求めて、クライアントが来店するサロンは別格としても、現実的には、施術経験年数イコール施術技術熟達(または施術金額高価イコール施術技術熟達)ではないのが、悲しきかな、マッサージ・リラク系サロン業界です。

勤務サロン側が「誇り」に思う存在に成長して、スタッフから門出の「はなむけの言葉」「感謝の花束」を受けて、晴れ晴れと清々しく、貴方を飛躍させたくれた勤務サロンから、茫洋とした大海原の中に佇む「個人サロン」に旅立つ。のが白眉最良でしょう。
「たけそらセラピスト」には、出来ませんでしたが。
セラピスト独立記|整体たけそらマッサージサロン
セラピスト独立記|整体たけそらマッサージサロン
独立心/志/道程|セラピスト独立記
東京新宿 整体たけそら|マッサージサロン
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隠れ家プライベート/プリミティブ
独創・DIY・インディペンデント
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セラピスト/施術記|整体たけそらマッサージサロン
■セラピストの施術雑記|2012+2026
2012年春~初夏頃は、お客さんもまばらで、暇な時間がほとんどでしたので、サロン勤務での「手癖」のついた施術の流れを、一旦、取り払う事にしました。昼は外仕事(寺院清掃)後に砂の入った頭陀袋の上で、深夜は部屋で座布団を丸めて、独り練習していた、あの頃(中医薬大学日本校での勉強時代)を思い出しながら。

中医薬大学日本校|整体たけそらマッサージサロン
●黒龍江中医薬大学日本校
通っていた当時は、高田馬場駅前のビル内に、受付・実技(推拿すいな手技)室・座学(解剖学・経絡経穴・中医学)室・付属サロンがありました。
本場・中医師の先生方に教わるだけではなく、自主的に考えて・動き続けていたので、授業料以上の価値のある・有意義な時間を得られたのだと思います。桜咲く季節に、心機一転、心模様を新たに、事始め。社会人になってからの、短し学生生活を送りました。清新感覚で「勉励」の日々。
全ては、本人の奮励次第なのです。もしも、受身の姿勢でいたならば、得られる経験も、少なかったのだと思います。授業料を支払えば、スクール側が生徒を、サロン勤務・独り立ちへ導いてくれるわけではないのです。自分で自分の尻を叩き続けて、刻苦勉励あるのみです。
​実技授業後の隙間・休憩時間には、がらんとした実技室で、先刻、習った施術の動きを、身に沁みこませる為に、独り反復してイメージ施術。(
整体院弟子時代と変わらず。元々、身体表現に傾倒した自分ならではの、習得方法。)
授業の空き時間に、付属サロン内で、在校生の方々と、施術練習も出来ました。当時は、近くに移転前の新宿区立中央図書館があり、移転前の立川・都立 多摩図書館にも通い、勉強していました。当時の校内は、学生人数も社会人中心に多く、活気があったと、記憶しています。
短期間のコースでは、頂上に向かう山道の途中で引き返してしまう。という確信があり、​延長期間の授業料を支払い(友人に金銭を借りる+失業保険金も活用しながら+今更感が否めず、心苦しくはありましたが、背に腹は代えられぬとばかりに、忘却の彼方の、営業職時代の未払い給料を督促しながら。)、手習い・勉強し続けました。

サロン・セラピスト独立
その後、勉励過程終了に合わせて、笹竹箱庭のある住処に引越し、学校運営サロンの勤務面接を辞退し、「御縁が繋がり」、間髪を容れず、上記の新宿のサロン勤務へ。合縁奇縁「同じ釜の飯を食った人よ、ありがとう。」※こればかりは、自身の心の内だけに、苦楽を共にした、怒涛の思い出を、大切に、留めておきたいと思います。追想。
※「推拿(すいな)」という名称が、世間一般・施術業界で、拡がりを見せる気配もなく、浸透する事がなかったからでしょうか。現在は、規模縮小・移転しているようです。お世話になりました。

追記|2026年7月8日「中国茶の日」|極私的探訪「身花茶宙」
「発心の場」、「初期衝動の場」に続いて、中医薬大学日本校・勉励過程終盤まで、浮身生活を送っていた、上京以来の仮の「寝床部屋荘」を、17年半以上ぶりに、再訪する。
小田急線電車に乗り、懐かしき狛江駅に、心騒めきながら、降り立つ。弁財天池脇の緑道・小道を通り、泉龍寺山門を抜け、弁天池通りから路地へ。①「野口整体創始者・故 野口晴哉はるちか(昭和時代に整体という概念を創始、体系化・普及。現代の整体療法の源流・始祖の一人。)の旧邸宅 土蔵」前で、佇み(故人の存在の息吹に触れる。)、波立つ心が鎮まり、腹が据わる。隣の②「古民家園」前を過ぎ、そのまた隣の東屋・池がある公園へ。池をぐるりと廻り、公園裏手の組石段の階段(生活当時は、木造階段)を降り、「デラシネ彫刻荘」に辿り着く。未だ、あの頃のまま、木造アパートは、現存していました。(生活当時は、大家さんに月末家賃手渡し。)敷地内の柿木は伐採され、切り株に巨大キノコが生え、土管が無造作に転がっていました。長らく、心忘れていましたが、駅からアパートまでの道中は、緑・竹林が多彩で、心安らぐ一時でありました。
今更ながら、誠に「小宇宙」のような環境・磁場の只中に、生活を送っていたのだなと、感慨一入。
たけそらセラピスト/独立までの生活
たけそらセラピスト/独立までの生活
●事前に、ネット・グーグルマップで下調べをしてから、訪問した次第です。
①生活を送っていた当時は、野口整体旧邸宅の存在などは、露知らず、そういえば、竹林に囲まれた趣のある広い邸宅だなと、感じていた位ではありました。現在は、全生新社|記念音楽堂・坐坐奔奔(ブック&カフェ)として運営されているようです。
②当時は、自身の浮身生活に夢中であり、むいから民家園に関しても、初めて、足を踏み入れることになりました。
受付棟前で、和やかに小枝を揃え切っていた係の女性に、写真撮影の許可を取り、敷地内の舟(多摩川で使用されていた木造屋形船)と古民家(江戸時代の民家を移築・復元)内のセルフ撮影を試みる。土間の三連カマド撮。板の間で、
組写真|「身花茶宙」として、現下の自身を、宙想する。平日の昼間なので、敷地・古民家内は、無人。独り貸し切り状態。開け放たれた障子戸からの風が心地良く、畳の間で、大の字になって、午睡の一時。優曇華の夢。夢から醒めて、縁側で胡坐をかきながら、持参した、煮沸かした玄米茶を、
安寧の園庭を眺めながら、漆塗の茶器で頂く。暫しの休息後、神棚に手を合わせ、寛憩の間・古民家園を後にする。

極私的探訪・「うつせみ」タイムリープ宙旅の最後に、再度、「ジプシー放浪アパート」に、立ち寄る。石段に座しながら、暫くの間、忘失していた様々な思い出が、脳内を過り駆け巡り、あの頃の己の花は散り、散華。有難う。
独立記・原稿用紙108枚分の文字手入到達。然し、六根清浄とは、名ばかりで有名無実。手入作業は、極細々と続いていく。未完。


​「身花茶宙」
身花茶宙|たけそら/竹宙
セラピスト|たけそら/竹宙
セラピスト|たけそら/竹宙
セラピスト|たけそら/竹宙
木舟|たけそら/竹宙
カマド|たけそら/竹宙
花・板の間|たけそら/竹宙
セラピスト|たけそら/竹宙
身花茶宙|たけそら/竹宙
身花茶宙

題目
壱 「花宙」
弐 「身省」
参 「花茶」
肆 「身想」
伍 「板舟」
陸 「竈飯」
漆 「花光」
捌 「身宙」
玖 「茶宙」

具足
壱 筆帳
弐 蓮華
参 黒花
肆 茶器
伍 飯器
陸 香器
漆 黒竹
捌 珊瑚
玖 張羅 

現身
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竹宙獨光

最上部・下部写真:神田川|桜の花びら・花筏(はないかだ)
神田川沿いの遊歩道を往復・徒歩で、学校に通った思い出。
2012年4月|筆者撮影
中医薬大学日本校|整体たけそらマッサージサロン
中医薬大学日本校/勉励/身花茶宙|セラピスト施術記
東京新宿 整体たけそら|マッサージサロン
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隠れ家プライベート/プリミティブ
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独立までの生活・道筋|整体たけそらマッサージサロン
●入校までの生活・道筋/営業職/クラブ
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上京後の生活を、掻い摘んでザックリ言うと、寺院清掃・銭湯巡湯・仏像彫刻→整体院弟子生活→四国遍路野宿旅→PC専門学校→健康食品・サプリメント営業職2社従事→西国巡礼野宿旅→中医薬大学日本校→個室サロン勤務→たけそらサロンという流れになります。
(経過途中、他にも生活費を稼ぐ為・充電期間としてのバイト・仕事、ミニシアター映画館巡鑑賞、立ち飲み・モツ焼き屋巡飲酒、巡礼・参拝旅、秘湯旅・熊野旅を含みます。)

※中医薬大学日本校入校後は、結果的に、本筋から外れて脇道に逸れる事もなく、「道筋が定まった」ということです。その後、「不惑の年」経て、現在に到る。
​
※グレー文字を、タップまたはクリックすると、ページ途中・段落部に移行します。

営業職に従事していた期間は、勤務後に毎日のように日課として、自身に似つかわしくない、ポジティブ幻想空間としての「フィットネス/スポーツクラブ」のエリア会員になって、都内近郊に点在する店舗に、勤務状況により神出鬼没し、自身のトレーニング(ストレッチ・マシントレ・ランニング他)と並行して、イメージ模索・研究(ヨガ・ピラティス・体操ストレッチ・太極拳等のクラス/エクササイズ・セッションを注視して眺め、施術ルームを傍から見学)をしていました。(メインは新宿・渋谷、サブで喜多見・宮崎台・新百合ヶ丘・新小岩・草加 店舗。3年間程の間、通い続けました。トレ後シャワー風呂サウナ後は、気分爽快で、街々の雑踏へ。また、自分とは、元々の匂いの違う人々の只中に身を置き、社会適応力を鍛える意味でも、何気に役に立ったのかもしれません。皆々とは毛色の違う自分が、後のサロン勤務の際にも、意識はせずとも、お客様・スタッフの環境に適応出来ていたのは、フィットネスクラブ通いのお陰かもしれません。)
この身体操作イメージの蓄積の期間があったお陰で、施術から離れていた時期でしたが、結果的に、再び、施術業界に舞い戻ることが出来たのだと思います。(整体院弟子という特殊なケースとして関わっていた為に、
営業職従事時は、施術業に戻る事は、現実的ではないと感じてはいましたが、もしかしたら、今後、何かの役に立つ日が来るかもしれないという一縷の望みも意識的に抱いて、生活してもいました。)

※因みに、自身は、当時から、健康食品・サプリメント類は、一切、摂取しません。自身で摂取しないのですから、最後の気持ちの籠った一押しが出来なかったですし、営業成績自体は並程度だったと思います。「古今亭志ん生の落語」を聴きながら出勤し、ヨガマット上で体操ストレッチ後に「操体法」書籍と「大道芸の口上」集を音読するというルーティンワーク後に、仕事に取り掛かる日々。また、勤務後の時間帯(スポーツクラブ+独酌)の為に、従事していたという側面もあります。いづれにしても、平穏・安定した生活期ではありましたが、何処か満ち足りない心を抱えていたという事です。(本心から、やりたい仕事というわけではなかったですから、自身の身の周りを、愛好する生活様式で固めるという、外堀を埋める方式で、仕事に従事していたという感です。)因みに、スーツは三つボタン・タイトスタイルで、シューズはナイキの黒革スポーティスタイルで、自分なりのドレッシー風にキメていました。(形から入ると、仕事にも熱を入れられるということでしょうか。)


その後、営業職を退職し、西国観音巡礼旅へ。
営業職最後の期間は、寝袋泊まり込み状態で、心持ちを野宿行に備え(普段のルーティンに観音経読誦をプラス)、営業仕事に対しても、自分なりに、やり残した事はない・やり切ったと、踏ん切りをつけました。本社に挨拶に向かい、アパートに戻り、バックパックを背負い、夜行高速バスで、霊場一番札所が鎮座する、新年に通い続ける「熊野」へ、旅立つ。自身の最後の野宿旅と決めて。(お客様に、観音菩薩の聖地である中国霊山・普陀山の頭陀袋と数珠・お賽銭の「お接待」を受けて、自身は、自彫りの地蔵菩薩を、お渡し。合掌。)
野宿巡礼旅を無事に完歩「遂に188霊場・満願(秩父34観音・坂東33観音・四国88寺・西国33観音)」し帰京。達成感がありつつも、心の中の空洞を埋めるべく、次に何処に進むべきかと思案しながらの充電期間とでも言うべきモチベーションの上がらない心の状態での短期ワークをこなした後の、「竹林伐採時の初期衝動」を経て、乾坤一擲(けんこんいってき)の想いで、中医薬大学日本校に入校する。
※自身は、特定の宗教の信仰があるわけではありません。20代序盤期の浅草の「仏像彫刻・仏師工房/倶楽部」通いから始まる、言うならば心中の「竹宙神仏」を念じるといった感覚でしょうか。また、永年・通い続ける「熊野」地方の風土とは、「竹宙魂」が呼応するといった感触であると思います。


※余談ですが、クラブで汗を流した後は、相変わらず風来坊の如く、都内近郊諸所の路地裏・横丁の立ち飲み・モツ焼き屋で、一杯引っ掛けてから、アパート部屋に帰宅するルーティンの日々でした。但し、20代中盤期の鬱屈さを抱えた心模様ではなく、身体を動かした後という事もあり、清廉とした心持ちで、瓶麦酒を独り嗜むといった感でした。また、クラブ後・土曜日の「新宿末廣亭の深夜寄席」、日曜・早朝の上野ガード下・大統領でのモツ焼ビール後の「鈴本演芸場の早朝寄席」に通い、「落語の話術研究」の週末でもありました。
※話は遡り、クラブ違いではありますが、20代中盤期の整体院弟子時代と言えば、日曜早朝に、青山のテクノクラブ「マニアックラブ」アフターアワーズ(早朝5時からリスタート|エントランスフィー1000円+カウンターバーのホットコーヒー無料で、貧乏弟子青年の懐にも優しく。)に通っていました。主にマイノリティ側の方々が集うのでしたが、自身も言わば「辺境生活」を送っていた為(一般的な社会生活の中でのマイノリティ側)に、一時の間・己を解放する為の、心の奥底の唸り具合の波長が合っていたのでしょう。小狭な大音響・熱狂空間雑踏の中に、独り佇んでいると、妙に落ち着くのでした。いつも、帰りの道すがら、明日からも、ガンバルぞと思えるのでした。元々、学生時代にジェフ・ミルズ氏、ケン・イシイ氏などを好んで聴いていたのもあります。竹宙としては、若かりし頃に、自身が感じた、心を解放する安息の空間を、自己の手で、という想いもあり、「独り一派・旗揚げ」に繋がったのかもしれません。
※話は更に遡り、「スイミングスクール/クラブ」に1年間程、通っていたこともあります。(仏像彫刻生活と整体弟子生活の間の期間)恥も外聞もかなぐり捨てて、小学生に混ざって、超初心者クラスに参加しました。潜り訓練から蹴伸びからバタ足へ。そしてクロールから平泳ぎから背泳ぎまで進みました。バタフライに進む前に、自動車教習所に通う為に、辞めてしまいましたが。泳ぎ終わった帰りは、清々爽快で夜風が心地良かったです。これもまた、ハングリー精神の修練だったのでしょう。
※話は更に続き、多摩川畔の「ドライビングスクール/クラブ」に通う期間の途中で、「メニエール病」が発症しましたが(回転性の眩暈で起き上がれない日があったり、日中の仕事場で症状が出て、病院に運ばれたり等)、だましだまし、這う這うの体で、平日夜間と週末に通い3カ月程度で、自動車免許取得に漕ぎ着けました。その後、病状からの回復期に、長津田・検車区の陸橋の上で、独り心模様が沈殿する黄昏時、沈む夕日を眺める日々を経て、「発心」し、整体院弟子生活へと転がる。小さきけれども、「原初」の一歩を踏み出すことになりました。発症は、青年時代の長年の観念的思考の蓄積が溢れ出てしまった為なのかもしれません。
メニエール病は、整体施術で手を施す作業で、メンタル精神面も安定し出し、その後は、再発することもなかったです。また、病気にならなければ、施術業という道を歩むこともなかったのかもしれません。正に、人間万事塞翁が馬・災い転じて福となす、であります。
※現在は、「お酒を嗜む習慣」は、無くなりました。また、「食」については、当時から現在も、「仙人」並みの質素な、食生活であります。

発心/陸橋|整体たけそらマッサージサロン
​追記|2026年6月10日「時の記念日」|「発心」の場へ再訪。
この独立記の文章執筆を契機に、想い立って、24年振りに、長津田・検車区の「陸橋の上」を訪れ、暫しの間、懐かしさに浸り、佇みました。(他人にとっては、凡庸な、何の変哲もない場なのでしょうが、自身にとっては、意味のある、大切な場なのです。舞い飛び立ちたいが、金網の中に閉じ込められている感があった場。当時の心象風景に寄り添ってくれた、想い入れのある象徴的な場。)セルフ撮影も決行する。陸橋は、あの頃の錆び寂れた感は無く、綺麗に生まれ変わっていました。同じく、足を運んでいた「古神社」の丘森は、古石段は無くなり、小社殿周りも木々伐採し「閉塞感」は無く、当時の面影は、感じられませんでしたが、現在の場の在り様が、今の自身の「心持ち」を表出しているのだとも感じました。
善き時となりました。あの頃の自分の、気配と匂いを感じた場へ、有難う。

写真:発心の場|長津田・検車区の陸橋|金網と空

​自身20代終盤(年齢的には最後のチャンスだったのでしょう。)から、社会人勉強・経験を積ませて頂き、有難うございました。お世話になりました。
1社目の会社(問屋・粗利率は低い)は、挨拶・お辞儀・名刺の渡し方・ネクタイの結び方から始まって、自身の独特なクセのある言葉使い・言い回し言語表現を封印してのビジネス用語習得(弊社・御社から始まり)からの、都内近郊のドラッグストア店舗営業廻りと、見積書作成からの商談。帰社後の夕方からは、WEBショップの発送作業も兼務。「パソコンスクール/クラブ」でご一緒だった方に、誘って頂き、入社。営業マンは素人の自分独り。自分のような未経験の面白い存在だったら、手詰まり状況を打破してくれるかもしれないと、感じてくれたのかもしれません。結局のところは、風穴は開けられませんでしたが。
自作のラミネート加工した販促ポップ POP(敬愛する大竹伸朗氏風フォント)を携えて、自身でルートを考えて、電車移動し、店舗を廻る。勤務初期は、スーツ仕事の新鮮感で表面上を覆い、または、仕事に対する違和感を行動自由感で中和させて、心に張りのあるワークでありました。その後は、段々と、
押しても引いても、手応え感が無く、次第に打つ手も無くなり、にっちもさっちも行かなくなり、苦悩し始める。慣れない商談の際は、自社が取扱う商品に対しての浅薄な心許ない理解しかない状態での、居た堪れない心境。この状態で続行する事への、せめぎ合いの葛藤感の中、半年程で、自身で終止符を打ちました。結果的に、触りだけ掴んで、業界を垣間見たという感じだったと思います。
2社目は、上記の複数店舗内(粗利率は高い)での営業。異分子感漂う独特な面白い存在として、社内で認めて頂き、二年半程の間、勤務。結局のところは、半人前にしか成れませんでしたが。
​

健康食品・サプリメント営業職という、広義での「健康産業・業界」という場に、身を投じ置いていたので、辛うじて首の皮一枚、現在まで「道筋」が繋がったのかもしれません。
そして、上京後の20代序盤~30代序盤(中医薬大学日本校入校までの期間)は、「混沌としたカタルシス・心の浄化解放作業」としての諸々の「倶楽部/クラブ通い」により、自己に課した、心身一如の「小さな修練の連続体の期間」であったのでしょう。
※「倶楽部/クラブ通い」道程①仏像彫刻/倶楽部②スイミング/クラブ③ドライビング/クラブ④テクノ/クラブ⑤パソコン/クラブ⑥フィットネス/クラブからの「施術/倶楽部」に到る。
※「竹宙神仏」道程①東北三大霊山籠舞踏(学生時代)②関東霊山巡拝③仏像彫刻工房参彫④秩父34観音霊場巡礼⑤坂東33観音霊場巡礼⑥四国88ケ寺霊場遍路⑦西国33観音霊場巡礼からの「熊野巡拝|磐座・滝・神仏」(竹宙魂との呼応)に到る。

竹林/屋号由来|整体たけそらマッサージサロン
​付録:「竹林伐採/屋号たけそら由来」
西国巡礼旅後の充電中に、素人の手作業ながら、市川市内の寺領の「竹林」の伐採を手伝っていた時分の一幕。
両手でチェンソーを持ち構える時の「体の姿勢・重心の置き所」を意識し始めた時に、
轟音と共に高速回転する刃への、本能的な戦慄からか無意識に「整体の型・宙体」が蘇ってきたのです。
薙ぎ倒した青竹の束の上で、昼寝をしていた時。もう一度、整体の世界に舞い戻ろうかと。
整体院で弟子修行からの四国遍路旅後は、営業職に従事していた為、長いブランクがあったので、まだ確信はなかったのですが。
PCで中医薬大学日本校を検索。すぐに学校の体験会に参加して(講習・面談・施術を受け)、次の日には授業料を振り込んで、その足で学校へ。
都立図書館に通いながら、新たな気持ちで、ひたむきに勉強し始めました。
確信を抱いて。
その後、サロン勤務を経て、「たけそら/竹宙」活動の狼煙を上げる。
​
写真上部:熊野古道伊勢路・松本峠|竹林と地蔵正面

写真下部:熊野古道伊勢路・松本峠|地蔵後面と陽光
2013年1月|筆者撮影
竹林|整体たけそらマッサージサロン

追記|2026年6月22日|「初期衝動の竹林」の場へ再訪。
発心の場に続いて、18年半振りに、「初期衝動」の湧き上がった、屋号由来の「竹林」の場へ、最寄り駅から路線バスに乗り、朧げな記憶を頼りに、再訪しました。竹林は、跡形も無くなり、埋め立てられ、新興住宅群が建っていました。薙ぎ倒した青竹の束の上で、昼寝をした「脇の空き地」は、今も猶、現存していました。暫しの間、当時の自身の姿に、想いを馳せて、沈思黙考し佇む。一昔前は、地続きであっただろう、住宅に分断された、残存する竹林を求め、さらに付近を歩き廻り、遂に探し出す。暫時、竹林と向き合い、今一度、黙想する。その後、敷地内の立ち入り許可を取ろうと動きましたが、誰も居なく、ゲリラ撮影を決行する。大量発生のヤブ蚊に、肌露出面を刺され続け(50箇所超・苦悶)、早々に撮り終え、住宅街の中なので、怪しまれないように、そそくさと小宇宙から退散する。帰路は、無事に竹林と対面出来た安堵感から、鼻歌交じりに、ぶらりぶらりと、徒歩で駅に戻る。途中、江戸川の土手で腰を下ろし、空想・夢想的な先刻の体験を思い返し、心地を整理した後に、現実世界に舞い戻る。
発心の場に続き、極私的再訪の、善き一時となりました。あの頃の自分の、再び踏み出す想いを抱かせてくれた場へ、有難う。
初期衝動|たけそら
竹林/初期衝動|たけそら
竹林/セラピスト|整体たけそらマッサージサロン
写真上部:初期衝動の場|竹林跡地|空き地
写真中部:初期衝動の場|地続きの竹林
​写真下部:市川市内・竹林|たけそらセラピスト

儚くも刹那き心の声が、アナタに届きますように。
​詳しくは下記リンク先へ。
たけそらセラピスト
書籍|身体操法/心持ち
映画鑑賞記
熊野旅記
秘湯・温泉浴記
仏像彫刻
独光鍛錬|セラピスト
一筋の光|セラピスト
愚直な気魂|セラピスト
彷徨う旅|セラピスト
​写真上部:新宿区大久保 小泉八雲記念公園 銅像
2012年2月|筆者撮影
写真下部:ネックタイ・ナロー|下北沢の古着屋で調達。
独立までの生活・道筋|整体たけそらマッサージサロン
入校までの道筋/営業/倶楽部/修練|セラピスト施術記
東京新宿 整体たけそら|マッサージサロン
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隠れ家プライベート/プリミティブ
独創・DIY・インディペンデント

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自己研鑽/セラピスト|整体たけそらマッサージサロン
​●自己研鑽|基本と研磨
独立当初は、施術ルームで、「初心」に帰って、基本の手技・型・動作だけを、繰り返し、体に沁み込ませていました。先行きの不安を掻き消す為にも、今の時間に集中し、無心になって体を動かし、ひたすら反復練習していました。
肌感覚として触れる実践の場からは、遠ざかることになりましたが、この期間の「イメージトレーニング」の蓄えが、その後、お客さんへの施術の場で、活かされて来たのを少しづつ実感して行きました。
一指禅推法(いっしぜんすいほう)・
滾法(こんぽう)等の「推拿(すいな)」の基本手技の大切さを、身に沁みて、感じることになりました。今となっては、施術が、次の段階に進む為の、必要な期間だったのだと思えます。
一度フラットな状態に戻して、もう一度、築き上げて行く事。これからも、現状を再構築する事を恐れずに、必要ではない概念は手放し、新しい思考を身に付けて、変化し続けることなのかなと感じました。

自己研鑽/セラピスト手|整体たけそらマッサージサロン
「自己研鑽」を積む作業|お世話になった整体院・中医薬大学で、教示を受けた施術の一連の流れを基に、自分なりに構築した過去の施術の流れ。なにゆえに、この流れになっているのかと、本質的に意義・価値はあるのかと、自身に問いかけ・自己洞察する作業、とでも言うべきかな。
​単体としての精度を上げるべく磨いた手技群を、再度、現状での最善の施術の流れとして、組み合わせ・創り上げていく「独創作業」であったのだと思います。

​
施術の階段上り的進化は、長い停滞期を経て、次の段階に一段上がり、また新たな停滞期を経て、更に高次の段階に進む、延々と続く石段登りの、果ての無い繰り返し作業なのだと思います。停滞期間は、解剖学書の地道な読み込み作業により新たな発見を得て、知見を深め施術に向き合う日々であったのだと思います。「光明が差す瞬間」は、いつなんどき自身の身に訪れるのかは、分かりません。
光明|たけそらセラピスト

余談:「剪定」|大事な枝を見極めて、木の成長を頭の中で想定することが大切なのだそうです。その木(身体)が、本来持っている特徴を生かして、整然と美麗に「枝を透かし」整える。身体に余計な負担を与えない為に、シンプルかつ的確な「施術」を追求する事にも通じるものがあると思います。痛みの根本の原因を探り、施術を組み立て、枝を剪定するように、コリを取り、歪みを正し、骨格を整える。また、「雑草」は、まだ小さくて数が少ないうちに、見つけ次第、抜き取る事が大事です。身体の不調も一緒です。何となく調子が良くないという段階でセルフケアを心掛け、違和感を改善することが大事です。剪定・素人仕事時のお話なり。
自己研鑽|たけそらサロン/セラピスト
写真上部:熊野・那智浜|竹片
2012年1月|筆者撮影
自己研鑽/施術・剪定|整体たけそらマッサージサロン
写真上部:施術・剪定バサミ|譲り受けた1丁。
独創施術/推拿療術
研鑽を積む作業/基本と研磨|セラピスト施術記
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隠れ家プライベート/プリミティブ
独創・DIY・インディペンデント

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出張訪問|整体たけそらマッサージサロン
​●出張訪問|基本と遊行
「出張訪問」は、東京中を巡り、あらゆる状況の中で、施術をすることが出来るので、良い経験になっています。施術の新しい発想も湧いてきますし、過去の施術の記憶が蘇ってきて、施術の流れが繋がる機会があったりします。
その時に大事なのは、やはり「基本」であり、基本さえしっかりしていれば、どんな状況でも対応できると実感してます。体幹が安定した身体の使い方が出来れば、いついかなる施術状況でも、揺らぐ局面でも軸バランス重心をとり、土台・施術が崩れることはないです。余計な力を抜き脱力、必要最小限の力と自重で、柔らかい動きをデザインする身体操作。やはり普段の身体操法・体操トレーニングと基本の型・動作反復練習が大切です。

出張訪問/セラピスト手|整体たけそらマッサージサロン
「真夜中の遊行」:脇道の話になりますが、元々、遍歴を重ねた若い時分は、江戸時代の旅芸人のような放浪・浮草稼業の生活を良しとしていたので、クライアントの自宅・ホテル・職場を巡り歩く行為自体は、元来、性に合っているのだと思います。遊行廻想。
深夜帯の施術後に、真夜中の散歩。ミッドナイト・トラベラー。
諸人が寝静まった静寂な夜更け。ロマ/ジプシー風・青年時代に訪れた記憶が蘇る懐かしい町々の、未だ見知らぬ角々や、運河道・川土手道を、橋の上で漆黒の川面を眺め佇みながら、一筋の光り輝く街までの道すがら、凛々精悍・颯々颯爽と、時には疲弊困憊・憔悴の体で、愚直な心の灯火と共に、独り歩き続ける。
生温い風が纏わりつく日も、極寒の凍えそうになる日も、始発電車が走り出すまで・付近のサウナまでの道すがら、愛聴する座右の曲の諸々を唄いながら・ぶらりと彷徨い歩く、行雲流水の時間。
夜明け迄の流浪・漂泊のノマド的ヒトトキは、極大切な解放・至福の時間にもなっていました。
真夜中|たけそらセラピスト

​追記|唄 感謝を込めて。彷徨い歩く真夜中の道すがらの、その時その場の心模様に浮かぶ座右の曲のアーティスト音楽家ー青柳拓次(KAMA AINA/リトル・クリーチャーズ)・上田現・岡村靖幸・斎藤和義・佐藤伸治(フィッシュマンズ)・スガシカオ・曽我部恵一(サニーデイ・サービス)・辻仁成・トータス松本(ウルフルズ)・永積崇(ハナレグミ)・浜崎貴司(フライングキッズ)・宮本浩次(エレファントカシマシ)・YO-KING(真心ブラザーズ)・吉野寿(イースタンユース)
あいうえお順記載
出張訪問|たけそらサロン/セラピスト
写真上部:熊野|保呂の虫喰岩
2020年1月|筆者撮影

出張訪問/旅人・手甲|整体たけそらマッサージサロン
写真上部:股旅・手甲|寺院清掃時に愛用した一対。
出張訪問施術
セラピスト/施術記|整体たけそらマッサージサロン
​出張訪問/基本と遊行|セラピスト施術記
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隠れ家プライベート/プリミティブ
独創・DIY・インディペンデント
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セラピスト道程|整体たけそら|マッサージサロン
●後書き「想えば流れ流れて遠くへ来たかと思えば、あの頃と何も変わらない自分がいる。灯光舟。」

兎にも角にも、活動拠点であるDIY隠れ家プライベートサロン内での施術と、出張訪問施術での、悲喜交々とした、永年に亘る場数を踏んだ両輪の経験から醸成・発酵した想起が「竹宙セラピスト」のインディペンデント魂のコア核を形成しているのだと思います。

 
泥蓮・胡蝶・刹那・道程・情緒・松濤・瑞雲・慧眼・坐忘・阿吽・独創・竹宙整体 
うつくし・うるわし・うたかた・たゆたう・いざよう・ものおもふ・たけそらマッサージ


後記|21才時の大学の卒業論文(生育史心理学+フィールドワーク)「ある青年の思考と心理、そして行動」(手書き・原稿用紙200枚超)に対する「自己アンサー」(自問自答での答え合わせ)、または続編とも言うべき、思考と感情と行動の繋がりを、過剰に絞り出す作業の積み重ねを通して、最終的には、上京後の生活を自己内省する、超長文筆になったのかもしれません。
※大学卒業時には、モラトリアム期が上京後10年超も続くとは、思いもよらず。不可思議な、数多の人との予期せぬ出会い・親交は、予測がつくわけもなく。当時は思慮の浅い思考脳(純心雑多)ではありましたが、時には一途に、これでもかと自身に対して、心を振り絞る姿は、愚直・滑稽そのもので、今と変わらずに、其処にありました。そして、あの頃と何も変わっていない自分が、此処に存在しています。これで良かったのだろうかと。でも、これ以外の彼方は、考えようもなく。
あの頃の、臆病志青年の、闇雲ながらも、心を決めた小さな一歩の日々の御蔭で、今の己の道があるのです。有難う。
​

極私的追記|亡き母にも、引っ込み思案だった幼少期を送った、次男坊の息子が、東京という地で、何を考えて生活していたのか、読んで欲しかったという想いも、心に湧いてきますが、時すでに遅しと。「話しても、理解できないから。」と電話口で答えていた青年時代もあり。捉えどころがない変な大人になった・育て方が悪かったのかしらと思われても、自分の方から連絡して、生活状況を、話してあげていた方が良かったのかもしれません。不肖の愚息から、心の中の母へ。

灯光ともしび手創舟「竹宙」の旅は、続いていくよ。何処までも。

※極細々と、加筆作業は、続行中です。

※細字は、2012年後半に記述した文章になります。(幾分かの手直し・追記・加筆表現あり。)
※太字長文は、2026年・加筆文章になります。

写真上部:熊野|古座川・河内島|御舟
2015年1月|筆者撮影
写真下部:熊野古道大辺路・仏坂|渡し舟と川面に映る山々
2019年1月|筆者撮影
写真下部:たけそら|手彫看板/昇り旗
セラピスト道程/舟|整体たけそら|マッサージサロン
看板・旗|整体たけそら|マッサージサロン
跋文|セラピスト独立記
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​●セラピスト独立記|付録写真
たけそらセラピスト|溝延直也
溝延直也|存在証明
セラピスト|存在証明
セラピスト/幼少期|整体たけそらマッサージサロン
セラピスト/少年期|整体たけそらマッサージサロン
セラピスト/愛犬|整体たけそらマッサージサロン
写真上部:たけそら満9カ月時|舟巻毛キューピー人形
写真中部:たけそら小学生低学年時|最上川舟下り+白糸の滝
写真下部:たけそら小学6年生夏時|愛犬パッチ+舟底靴
※22歳時|ドローイング。(長年の間、お蔵入りの秘蔵)
セラピスト/浜|整体たけそら|マッサージサロン
たけそらセラピスト|伊豆・河津浜にて
2014年9月|筆者セルフ撮影

セラピスト道程/渡海舟|整体たけそら|マッサージサロン
熊野・那智浜|補陀落渡海|観音浄土・捨身行舟
2012年1月|筆者撮影
セラピスト眼/独立記|整体たけそらマッサージサロン
セラピスト手/独立記|整体たけそらマッサージサロン
「心眼・手草」
​写真上部:たけそらセラピスト眼
2026年6月|筆者セルフ撮影
​写真下部:たけそらセラピスト手と熊野浜サンゴ化石
2026年7月|筆者セルフ撮影

■独立記|組写真
●発心|陸橋
●初期衝動|竹林
●心眼|眼光口花
●手草|珊瑚化石
●身花茶宙|現身
●独木舟|灯光舟
たけそらセラピスト/独立記
たけそらセラピスト/独立記
たけそらセラピスト/独立記
たけそらセラピスト/独立記
付録写真|セラピスト独立記
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「たけそら独立記」
東京新宿 整体たけそら
たけそらセラピスト/蓮華
たけそらセラピスト
たけそらセラピスト/身花
たけそらセラピスト/竹林
たけそら/竹宙|サロン/セラピスト独立記
個人サロン・セラピスト独立記|竹宙たけそらTAKESORA
「たけそら独立記」
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個人サロン旗揚
​セラピスト道程
竹宙独光


たけそらセラピスト|溝延直也
​筆者|たけそらセラピスト
溝延 直也(みぞのべ なおや)

山形県新庄市出身。
国立福島大学で心理学を専攻する。

澤村整体療術院で弟子生活を送る。
黒龍江中医薬大学日本校で勉強する。
整体マッサージサロン長寿堂に勤務する。
たけそら|隠れ家プライベートサロンを営む。
施術の型・身体操法・野口体操・ヨガが日課。

独創施術家/推拿療術士/身体セラピスト
たけそらセラピスト
セラピスト独立記/施術記|たけそらサロン
セラピスト独立記/施術記
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