サロン・セラピストの独立雑記|2015+2026
モラトリアム修行遊行時代~たけそら時代
モラトリアム修行遊行時代~たけそら時代
東京新宿 整体たけそら|マッサージサロン
■セラピストの独立雑記
●サロン勤務/回想記
●独立初期/現在/自己分析
●整体療術院弟子/原初/遍路
●身体・施術ワークショップ/泥蓮
●独り一派/旗揚げ
●独立心/志
■セラピストの施術雑記
●中医薬大学日本校/勉励
●研鑽を積む作業/基本と研磨
●出張訪問/基本と遊行
※グレー文字を、タップまたはクリックすると、ページ途中・段落部に移行します。
長年、お蔵入りさせていた文章を、大幅に手を入れ直し、白日の下に、甦生させました。
※細字は、2012年・2015年に記述した文章になります。(幾分かの手直し・追記・加筆表現あり。)
※太字は、2026年・超長尺の渾身の加筆文章になります。(殊の外、自身が驚嘆する程の尺になってしまいました。)
先ずは、自身を成長させてくれた存在・場所・時間に感謝の想いを記したく、筆を走らせ綴る。
心の引き出しから、一つ一つ大切に、過去の感情を取り出し、断片的な記憶を呼び覚まし、胸中を吟味することに注力し、
加えて、諧謔精神で可笑しみ・滑稽な様を表現することに、主眼・重きを置きながら、飄逸として記述作業中。
■セラピストの独立雑記
●サロン勤務/回想記
●独立初期/現在/自己分析
●整体療術院弟子/原初/遍路
●身体・施術ワークショップ/泥蓮
●独り一派/旗揚げ
●独立心/志
■セラピストの施術雑記
●中医薬大学日本校/勉励
●研鑽を積む作業/基本と研磨
●出張訪問/基本と遊行
※グレー文字を、タップまたはクリックすると、ページ途中・段落部に移行します。
長年、お蔵入りさせていた文章を、大幅に手を入れ直し、白日の下に、甦生させました。
※細字は、2012年・2015年に記述した文章になります。(幾分かの手直し・追記・加筆表現あり。)
※太字は、2026年・超長尺の渾身の加筆文章になります。(殊の外、自身が驚嘆する程の尺になってしまいました。)
先ずは、自身を成長させてくれた存在・場所・時間に感謝の想いを記したく、筆を走らせ綴る。
心の引き出しから、一つ一つ大切に、過去の感情を取り出し、断片的な記憶を呼び覚まし、胸中を吟味することに注力し、
加えて、諧謔精神で可笑しみ・滑稽な様を表現することに、主眼・重きを置きながら、飄逸として記述作業中。
■セラピストの独立雑記|2015+2026
●サロン勤務/回想記
2012年春 当サロン「たけそら」セラピストの独立の場合は、「勤務していたサロン」のお客さんは誰もついてきませんでした。新宿の大通りのサロンから、180度路線・方向性の違う、隠れ家プライベートサロンとして、路地裏の雑居ビルで開業した為もありますし、結局、自分のスタイルに、勤めていたサロンとお客さんは、噛み合っていなかったということでしょう。思い返してみると、水と油のような関係であったのかもしれません。
※勤務していた新宿三丁目の個室サロン「長寿堂」(整体マッサージ・リラクゼーション)は、独立数年後に、閉店しました。
サロンでは、整体ボディケア・リフレクソロジー・フェイシュル全施術を担当。三年半もの長い間、お世話になりました。虚仮一念。
現在、新宿区内にある同名のサロンではありません。経営会社・経営者は別です。
※たけそらセラピストが勤務していたサロンは、個室5部屋(シングル施術3ルーム・ペア施術2ルーム)、初期投資の回収には、長年を要するであろう、湯水のように内装・備品類に金銭をかけた、洗練された瀟洒なサロンではありました。
立地・敷地面積から店舗家賃も相当な額であったと思いますし、現実的に、初期投資を回収し、黒字経営で運営出来ていたのかは、雑談の中でマネージャーに、かいつまんで訊いてはいましたが、自身は経営側ではないので、当時の本当の懐事情はわかりません。
サロンの経営企業は、当時は、他にも、タイ古式マッサージサロン・ネイルサロン、同じビル上階でゲルマニウム温浴/岩盤浴ドーム型サウナの店舗を経営していました。その後、勤務期間中に、タイ古式・ゲルマ岩盤浴店は閉店、ネイルサロンは多店舗展開へと移行している段階でした。
現在は、事業譲渡しているのかしれませんが、サロン退職後は、スタッフ・関係者の誰とも交流がないので、風の噂も聴こえません。
今となっては、蜃気楼の如き儚き幻影空間。以下、寄る辺なき当時の想いを昇天させるべく、筆を走らせる。
※勤務開始当初は、スクール段階終了直後の、施術セラピストとして、箸にも棒にも掛からない存在だったでしょうから、サロンに拾ってもらって、勤め始めたという事になるかと思います。
金欲がなく、心貧しさもなく、どこか浮世離れし、狭い集団で自己を誇示することもなかったので、重宝がられたのかもしれません。
また、当初は、ダブルワークの為、片足だけ踏み込む中での勤務でしたので、他スタッフとの距離感のバランス・使い勝手も良い存在であったと思います。
完全個室で、施術の全ての流れを担当するリラクゼーション系のサロンに対して、最初は違和感もありましたが、来店なさる方々は、熟練の先生に施術してほしいわけではないので、直ぐに慣れました。リフレクソロジー・フェイシャルコースに関しては、スクールでの勉錬だけでは、心許なく不十分でしたので、在籍中の他のスタッフに、空き時間に練習に付き合ってもらい、万全を期してから、お客さんに対応し始めました。
在籍するスタッフは、あれよあれよという間に、次々に辞していき、権力・陰険とは無縁の、暖簾のように受け流す新参者の拙者が、またたく間に、最古参の存在になりました。些末な事にこだわらなければ、自身にとっては自由で快適な環境で、緩やかに施術生活を送り始めました。※この時点では、後のアンビバレントな一心不乱の勤務状態・状況になるとは、本人も想像していませんでした。
※当時は、眼前が尼寺本堂の、笹竹箱庭のある住処(窓を開け放つと、静寂・静謐な夜のしじま)から、ミニサイクルで通い始めました。後に引越し、カオス混沌の新宿・真只中の住人になり、ネオン煌めく歌舞伎町の中を、遠慮気味に闊歩しながら突っ切り、サロンに通いました。(勿論、歌舞伎町に馴染む内面性ではありません。新宿駅付近のミニシアターに通う際の、昼下がりの細路地のどんよりと停滞した空気感は、嫌いではありませんが。)
※因みに、寺庭物件は、最初の不動産屋で直ぐ初っ端に提示された物件。群衆物件「竹宙堂」は、諦めかけた時の最後の最後の不動産で、提示された物件でした。
我ながら、直感による場所・土地との御縁が、両極端ではあります。初憶。
サロン勤務当時から感じていましたが、お客さんはサロンのブランドに惹かれてくるお客さんですし、セラピスト個人のお客さんではないのです。指名制度も、サロンの中での指名ですから。やはり、離れてみて、数年後の今はそう思います。独立すれば、独りで、個人ブランド世界観・ミクロコスモス小宇宙を創り込み、稀有な存在としての価値を表出し、お客様に数あるサロンの中から、選んで頂かないと、施術をするという行為ができないのです。
独立前の準備期間中の「たけそら」の噂を聞いて、来店する方は多くても、遠慮・敬遠され、誰も指名はしないというカイゴロシ的な状態。また、読者モデルさんに人気(インフルエンサーマーケティング)という路線のサロンでしたので、サロンに来店される方(ホットペッパービューティー系サロンを求める方)との相性も、基本的に合わなかったと思います。当時は、中身(施術)が伴わないサロンイメージ・ブランド作りに、お世話になっている有難さもありつつ、恥ずかしさも感じていました。常に消化不良で、もどかしく・やるせない気持ちでいたのも事実です。
※自身が望んだ事ではありませんでしたが、結果的に勤務サロン側の経費ゼロ・無料の宣伝広告塔になってしまった状況があったかと思います。自身の今後も、成る様になると、流れに身を任せていた途中経過の状況ではありました。極めて微力ながらも、サロンの売上に貢献出来る事は、お世話になっていることへの「恩返し」だと感じてもいました。
それ故に、運営側のマネージャーが、自身をサロンに置いておきたいという心情も理解出来ていましたし、踏ん切りをつけたいという自身の独立心との、板挟みの葛藤状態でもありました。サロン勤務・最終盤期の、不可逆的な意思疎通不可の、コミュニケーション不能状態は、心底・息苦しかったですが、不可避であり、避けて通ることはできなかったのだと思います。
その状況が、下記の、独立なのにも関わらず、誰からも「はなむけがない」悲壮な最終局面に繋がって行くことになるのでした。また、避けて通らなかったからこそ、独立初期の深閑状況を乗り越えられたのでしょうし、この溢れ出る想いがあるのでしょう。
※当時は、未だPC検索主流の時代。サロン勤務終盤期には、「たけそらサロン」が、YAHOO検索「新宿 整体」「新宿 マッサージ」「東京 整体」「東京 マッサージ」他のキーワードで、試行錯誤の独力で、検索トップページの地図に1番目に記載されていました。
インディペンデント・サロンが1番目とは、サロン業界にとっては、笑止千万・片腹痛い存在だったと思いますが、当時から、愚直なスピリットだけは無双・傑出する存在だったということでしょうか。(金銭・人脈など何も利用せず、独り旗揚げしたのですから。)
※しかしながら、サロンを探す世の中の方々に、たけそらサロンのインディペンデント・スピリットが伝播したのかどうかは、独立直後の閑散とした状況を鑑みると、甚だしく疑わしいですが。何はともあれ、WEBの時流に乗って、運が良かったのだと思います。(SNSに関しては、地道に石橋を叩いて渡り、独立前にFACEBOOK→独立直後にTWITTER→5年後にINSTAGRAMを開設。)WEBサイトの道程につて、詳しくはリンク先へ→WEBサイト/プロセス
※現在は、アルゴリズムの複雑化・進化で、ニッチキーワードでしか、表示されません。
深夜勤務を独りで任されてからは、全て業務(来店受付・電話対応・WEB対応、個室5部屋での連続施術、タオル・ウェア洗濯たたみ、掃除・在庫管理・雑用等)を同時にこなし、勤務するサロンに対して誰よりも思い入れが強いと自負していましたが、経営・運営面には一切関わらない現場の一スタッフの立場でしかないですし、独立後の事を踏まえ、自分の個性を出す事をしませんでしたので、常にモチベーションを維持して存在することに努めていましたが、時が経つにつれサロン・お客さんとの関係性は段々と希薄になっていきました。
最後は、サロンのスタッフという感じではなく、「たけそら」として、委託されて任されている感じになっていました。(自分の立場を、そう思わせることで自分自身を納得させ、お世話になっているサロンの業務につくす為。)昼は、女性スタッフのサロンでしたので、昼と夜では全く別のサロンのようだったと思います。とにかく、アンビバレントな愛憎相半ばする複雑な心持ちのまま、目の前には、独立しなければならない時が迫ってきていました。(サロン内装とWEBサイト土台作業が完了し、自身で決めた最終期限日。サロン勤務に専心できる、精神的なデッドラインでもありました。)
サロン勤務当時は、同じ新宿で独立する為と、新宿の大通りの有名サロン勤務という認知度は必要なかったですから、自分の担当するお客さんの前以外には、絶対に姿を現さず、謎のまま存在をひた隠して勤めていました。周りのスタッフにも、何も話さずに、一切秘密にして、独立に向けて、身の丈でコツコツと進行していました。(ネットで検索すれば、情報は出てくるので、バレバレだったとは思います。スタッフも、触れないように知らないふりをしている感じでした。)
※当然ですが、誰からも、はなむけの言葉も、お別れの花束も、ありませんでした。最後の勤務終了後も、ビルの最上階に住む大家さんに挨拶・菓子折りを渡し、サロンの扉を閉め、感謝の手を合わせ、立つ鳥跡を濁さずで、忽然と立ち去る。門出は、自分に刻む唄。
(勤務最後の期間・夜明けの早朝に聴いていたトータス松本氏の「ハッピーアワー」を、溢れ出そうになる涙をこらえ、唇を噛みしめ、唄いながら。当時の記憶が繋がり辿ると、他にも「ブランコ」宮本浩次氏「ワインディングロード」※両曲ともYOUTUBE映像と共に。20代から愛聴する曲・吉野寿氏「夜明けの歌」「素晴らしい世界」に、鼓舞され気力を振り絞った期間。)
退職当時は、坊主頭の後ろ髪を引かれる想いはありませんでしたが、完遂した清々しさの中に、自身のサンクチュアリ聖域がなくなるという一抹の寂しさは、心の奥底にはあったのかもしれません。追憶。
※再度、思い直してみると、はなむけがないのは、そっとしておいてくれた女性スタッフの優しさだったのかもしれません。当時は、自身の今後の事で、精一杯で余裕がなかったでしょうし、また、勤務初期の関係性を回復するのは不可能であったとも思いますし、スタッフの心遣いに気づいていないふりもしていたと思います。
ただ、内心で独立を決めているからといっても、消化するだけの勤務になるのは嫌でしたし、立場の違いから、スタッフとも、ひずみが出来て、本心のコミュニケーションが取れず、心苦しくはありましたが、サロン勤務も3年半という長い間、一日も欠勤することなく、最後まで徹底して、貫徹やり通すことができました。信頼されて任されている、何より自由にやらせてもらえたからこそ、続けられたのだと思います。プライベートでは独立準備をしながら、サロン内では手技を研究し、運営面を学ぶことも出来ました。有難い有意義な日々でした。
※勤務開始1年目は、週4・5日 昼過ぎから夜間(寺院清掃と掛け持ち)勤務。2年目からは、サロン深夜勤務に集中・専念。ほぼ全日出勤。月1の休みに秘湯へ。(勤務明けに高速バス乗、♨宿で1泊・骨休み。翌日、帰京し出勤。)3年目からは、日曜休み(深夜営業なしの為)で、安定した勤務に移行。(勤務時間前後での内装・備品・WEB独立準備で、いつも寝不足状態・倦怠感の日々。)
※当時のサロン業界の薄給では、経済的にも、ここまで連日勤務しないと、遠からずの先の独立という道筋には、見通しが立たなかったということでしょう。
補足すると、自身は固定給・時給・歩合制などという一般的な枠組みではなく、深夜勤務に移行後は、言うなれば、変動制「存在料」という形態での給料体系ではありました。(勤務開始時間を夕方過ぎに電話で確認・調整しながら、サロンの予約状況・込み合い具合によって、夜間~早朝までの勤務。)サロン・マネージャーとの信頼関係がなければ、成り立ちません。
※手創りのインディペンデントサロンとはいえ、内装材料費・備品類の費用は掛かりますから。(施術ベッドだけは、奮発して、海外から取り寄せました。)
※また、月に1日しか休息日がなかった状況の中だからこそ、山奥に存在する「秘湯宿」での骨休みの有難みを感じる事も出来たのだと思います。
※独立後も、影ながら、気にかけてくれた女性スタッフの方がいてくれたのは、有難き幸せな事であると、今更ながら、感じてはいます。品行方正の聖人君子では、更々ありませんし、皆のお手本となる・指針となる善き先輩・リーダー格の存在では、ありませんでしたから。言わば、はぐれ者のユーモアとウィットを内包した、悲壮感漂う愚直心の塊のような存在。女性スタッフに対する、冗談・遊び心がなければ、3年半もの長い間、勤務する気持ちは続かなかったという側面は、この際に、記しておきたいと思います。心優しきスタッフに、自身が助けられていたのだと思います。そして、自身に長寿堂勤務という千載一遇の時間を与えてくれたマネージャー、ありがとうございました。
もう時効でしょうから。若気の至り記。以下、気分を害する方は、読み飛ばして頂いて構いません。
・スタッフ控室から外階段に飛び移り、何故かサロン入口から登場したり。
・お客様用のパンツ・ズボンに両腕を通し、長そでシャツに両足を通し、スタッフの目の前に現れたり。
・隣の空き個室で、一人二役で、お客様が来店された際の「こちらのお部屋にどうぞ。」「わー綺麗。素敵な部屋。」芝居を打ったり。
・隣の空き部屋のベッドの上で、施術が終わったスタッフを、逆立ち股開きで、待ち構えていたり。
・スタッフが施術中の個室ドアの摺りガラスの前で、腰振四這舞踏ダンスを、仕掛けたり。
・帰り際のスタッフの下足の中に、小さな置物を、忍び込ませていたり。
・他のスタッフは気にも留めない珍奇なくだらない局面で、独りプププッと笑いが止まらず、一日中、思い出し笑いをしていたり。
・勤務時間前にサロンの込み合い状況の確認TELをする際に、毎回違う偽名と声色で、電話をしたり。等々。
解読不能なシュールな行動は、数え上げたらキリがありません。スタッフは、呆れ返っていたとは思いますが、たまにはお情けで、調子を合わせてくれもしました。
連日勤務に起因する、自身の心の余裕の無さから、当たりがキツくなってしまったスタッフには、近寄り難い存在になってしまって、申し訳なかったという気持ちもありますし、自身より後にサロンに入った中核を成すメンバーが、一人去り、また一人去りの連続でしたので、その都度、心寂しさもありましたが、感傷に浸っている余裕もなく、独立という本来の目的の為に、集中しなければと、己を叱咤激励していました。
サロンに出勤した際の、いつも待ち構えていた安息のスタッフが、突然・前触れもなく去る際は、突発的に自身も直ぐにでも立ち去りたくはなりましたが、もう一度、気魂を入れ直し、もう自身も一刻の猶予もないと、独立に向けて最後の追い込み準備を、加速度的に始めたのでした。
その後、幾度かの夜明けを繰り返し、遂に、独り旅立ちの朝へ。無論、歩き出した先には「たけそらサロン」
皆々、時には常軌を逸した羽目外しで、ご迷惑をお掛けしました。元気で生活していてくれたら、幸いです。また、どこかで、ご縁があれば、お会いしましょう。
加筆後記
※当時の記憶を鮮明に蘇らせ、溢れ出す感情を、今書き留めねばと、超長文になってしまいました。
キーボードを打ちながら、幾多の想い出が、まざまざと脳内に覚醒し、穏やかに耽る・思わず失笑する・苦しくなる・涙が止まらないヒトトキもありました。
何も手を施さなければ、薄れゆくであろう記憶を、この機会に独り内省し、書き留めることが出来て、率直に、良かったと感じています。
このあたりで、一旦、お仕舞にしたいと思います。追憶回想。
●サロン勤務/回想記
2012年春 当サロン「たけそら」セラピストの独立の場合は、「勤務していたサロン」のお客さんは誰もついてきませんでした。新宿の大通りのサロンから、180度路線・方向性の違う、隠れ家プライベートサロンとして、路地裏の雑居ビルで開業した為もありますし、結局、自分のスタイルに、勤めていたサロンとお客さんは、噛み合っていなかったということでしょう。思い返してみると、水と油のような関係であったのかもしれません。
※勤務していた新宿三丁目の個室サロン「長寿堂」(整体マッサージ・リラクゼーション)は、独立数年後に、閉店しました。
サロンでは、整体ボディケア・リフレクソロジー・フェイシュル全施術を担当。三年半もの長い間、お世話になりました。虚仮一念。
現在、新宿区内にある同名のサロンではありません。経営会社・経営者は別です。
※たけそらセラピストが勤務していたサロンは、個室5部屋(シングル施術3ルーム・ペア施術2ルーム)、初期投資の回収には、長年を要するであろう、湯水のように内装・備品類に金銭をかけた、洗練された瀟洒なサロンではありました。
立地・敷地面積から店舗家賃も相当な額であったと思いますし、現実的に、初期投資を回収し、黒字経営で運営出来ていたのかは、雑談の中でマネージャーに、かいつまんで訊いてはいましたが、自身は経営側ではないので、当時の本当の懐事情はわかりません。
サロンの経営企業は、当時は、他にも、タイ古式マッサージサロン・ネイルサロン、同じビル上階でゲルマニウム温浴/岩盤浴ドーム型サウナの店舗を経営していました。その後、勤務期間中に、タイ古式・ゲルマ岩盤浴店は閉店、ネイルサロンは多店舗展開へと移行している段階でした。
現在は、事業譲渡しているのかしれませんが、サロン退職後は、スタッフ・関係者の誰とも交流がないので、風の噂も聴こえません。
今となっては、蜃気楼の如き儚き幻影空間。以下、寄る辺なき当時の想いを昇天させるべく、筆を走らせる。
※勤務開始当初は、スクール段階終了直後の、施術セラピストとして、箸にも棒にも掛からない存在だったでしょうから、サロンに拾ってもらって、勤め始めたという事になるかと思います。
金欲がなく、心貧しさもなく、どこか浮世離れし、狭い集団で自己を誇示することもなかったので、重宝がられたのかもしれません。
また、当初は、ダブルワークの為、片足だけ踏み込む中での勤務でしたので、他スタッフとの距離感のバランス・使い勝手も良い存在であったと思います。
完全個室で、施術の全ての流れを担当するリラクゼーション系のサロンに対して、最初は違和感もありましたが、来店なさる方々は、熟練の先生に施術してほしいわけではないので、直ぐに慣れました。リフレクソロジー・フェイシャルコースに関しては、スクールでの勉錬だけでは、心許なく不十分でしたので、在籍中の他のスタッフに、空き時間に練習に付き合ってもらい、万全を期してから、お客さんに対応し始めました。
在籍するスタッフは、あれよあれよという間に、次々に辞していき、権力・陰険とは無縁の、暖簾のように受け流す新参者の拙者が、またたく間に、最古参の存在になりました。些末な事にこだわらなければ、自身にとっては自由で快適な環境で、緩やかに施術生活を送り始めました。※この時点では、後のアンビバレントな一心不乱の勤務状態・状況になるとは、本人も想像していませんでした。
※当時は、眼前が尼寺本堂の、笹竹箱庭のある住処(窓を開け放つと、静寂・静謐な夜のしじま)から、ミニサイクルで通い始めました。後に引越し、カオス混沌の新宿・真只中の住人になり、ネオン煌めく歌舞伎町の中を、遠慮気味に闊歩しながら突っ切り、サロンに通いました。(勿論、歌舞伎町に馴染む内面性ではありません。新宿駅付近のミニシアターに通う際の、昼下がりの細路地のどんよりと停滞した空気感は、嫌いではありませんが。)
※因みに、寺庭物件は、最初の不動産屋で直ぐ初っ端に提示された物件。群衆物件「竹宙堂」は、諦めかけた時の最後の最後の不動産で、提示された物件でした。
我ながら、直感による場所・土地との御縁が、両極端ではあります。初憶。
サロン勤務当時から感じていましたが、お客さんはサロンのブランドに惹かれてくるお客さんですし、セラピスト個人のお客さんではないのです。指名制度も、サロンの中での指名ですから。やはり、離れてみて、数年後の今はそう思います。独立すれば、独りで、個人ブランド世界観・ミクロコスモス小宇宙を創り込み、稀有な存在としての価値を表出し、お客様に数あるサロンの中から、選んで頂かないと、施術をするという行為ができないのです。
独立前の準備期間中の「たけそら」の噂を聞いて、来店する方は多くても、遠慮・敬遠され、誰も指名はしないというカイゴロシ的な状態。また、読者モデルさんに人気(インフルエンサーマーケティング)という路線のサロンでしたので、サロンに来店される方(ホットペッパービューティー系サロンを求める方)との相性も、基本的に合わなかったと思います。当時は、中身(施術)が伴わないサロンイメージ・ブランド作りに、お世話になっている有難さもありつつ、恥ずかしさも感じていました。常に消化不良で、もどかしく・やるせない気持ちでいたのも事実です。
※自身が望んだ事ではありませんでしたが、結果的に勤務サロン側の経費ゼロ・無料の宣伝広告塔になってしまった状況があったかと思います。自身の今後も、成る様になると、流れに身を任せていた途中経過の状況ではありました。極めて微力ながらも、サロンの売上に貢献出来る事は、お世話になっていることへの「恩返し」だと感じてもいました。
それ故に、運営側のマネージャーが、自身をサロンに置いておきたいという心情も理解出来ていましたし、踏ん切りをつけたいという自身の独立心との、板挟みの葛藤状態でもありました。サロン勤務・最終盤期の、不可逆的な意思疎通不可の、コミュニケーション不能状態は、心底・息苦しかったですが、不可避であり、避けて通ることはできなかったのだと思います。
その状況が、下記の、独立なのにも関わらず、誰からも「はなむけがない」悲壮な最終局面に繋がって行くことになるのでした。また、避けて通らなかったからこそ、独立初期の深閑状況を乗り越えられたのでしょうし、この溢れ出る想いがあるのでしょう。
※当時は、未だPC検索主流の時代。サロン勤務終盤期には、「たけそらサロン」が、YAHOO検索「新宿 整体」「新宿 マッサージ」「東京 整体」「東京 マッサージ」他のキーワードで、試行錯誤の独力で、検索トップページの地図に1番目に記載されていました。
インディペンデント・サロンが1番目とは、サロン業界にとっては、笑止千万・片腹痛い存在だったと思いますが、当時から、愚直なスピリットだけは無双・傑出する存在だったということでしょうか。(金銭・人脈など何も利用せず、独り旗揚げしたのですから。)
※しかしながら、サロンを探す世の中の方々に、たけそらサロンのインディペンデント・スピリットが伝播したのかどうかは、独立直後の閑散とした状況を鑑みると、甚だしく疑わしいですが。何はともあれ、WEBの時流に乗って、運が良かったのだと思います。(SNSに関しては、地道に石橋を叩いて渡り、独立前にFACEBOOK→独立直後にTWITTER→5年後にINSTAGRAMを開設。)WEBサイトの道程につて、詳しくはリンク先へ→WEBサイト/プロセス
※現在は、アルゴリズムの複雑化・進化で、ニッチキーワードでしか、表示されません。
深夜勤務を独りで任されてからは、全て業務(来店受付・電話対応・WEB対応、個室5部屋での連続施術、タオル・ウェア洗濯たたみ、掃除・在庫管理・雑用等)を同時にこなし、勤務するサロンに対して誰よりも思い入れが強いと自負していましたが、経営・運営面には一切関わらない現場の一スタッフの立場でしかないですし、独立後の事を踏まえ、自分の個性を出す事をしませんでしたので、常にモチベーションを維持して存在することに努めていましたが、時が経つにつれサロン・お客さんとの関係性は段々と希薄になっていきました。
最後は、サロンのスタッフという感じではなく、「たけそら」として、委託されて任されている感じになっていました。(自分の立場を、そう思わせることで自分自身を納得させ、お世話になっているサロンの業務につくす為。)昼は、女性スタッフのサロンでしたので、昼と夜では全く別のサロンのようだったと思います。とにかく、アンビバレントな愛憎相半ばする複雑な心持ちのまま、目の前には、独立しなければならない時が迫ってきていました。(サロン内装とWEBサイト土台作業が完了し、自身で決めた最終期限日。サロン勤務に専心できる、精神的なデッドラインでもありました。)
サロン勤務当時は、同じ新宿で独立する為と、新宿の大通りの有名サロン勤務という認知度は必要なかったですから、自分の担当するお客さんの前以外には、絶対に姿を現さず、謎のまま存在をひた隠して勤めていました。周りのスタッフにも、何も話さずに、一切秘密にして、独立に向けて、身の丈でコツコツと進行していました。(ネットで検索すれば、情報は出てくるので、バレバレだったとは思います。スタッフも、触れないように知らないふりをしている感じでした。)
※当然ですが、誰からも、はなむけの言葉も、お別れの花束も、ありませんでした。最後の勤務終了後も、ビルの最上階に住む大家さんに挨拶・菓子折りを渡し、サロンの扉を閉め、感謝の手を合わせ、立つ鳥跡を濁さずで、忽然と立ち去る。門出は、自分に刻む唄。
(勤務最後の期間・夜明けの早朝に聴いていたトータス松本氏の「ハッピーアワー」を、溢れ出そうになる涙をこらえ、唇を噛みしめ、唄いながら。当時の記憶が繋がり辿ると、他にも「ブランコ」宮本浩次氏「ワインディングロード」※両曲ともYOUTUBE映像と共に。20代から愛聴する曲・吉野寿氏「夜明けの歌」「素晴らしい世界」に、鼓舞され気力を振り絞った期間。)
退職当時は、坊主頭の後ろ髪を引かれる想いはありませんでしたが、完遂した清々しさの中に、自身のサンクチュアリ聖域がなくなるという一抹の寂しさは、心の奥底にはあったのかもしれません。追憶。
※再度、思い直してみると、はなむけがないのは、そっとしておいてくれた女性スタッフの優しさだったのかもしれません。当時は、自身の今後の事で、精一杯で余裕がなかったでしょうし、また、勤務初期の関係性を回復するのは不可能であったとも思いますし、スタッフの心遣いに気づいていないふりもしていたと思います。
ただ、内心で独立を決めているからといっても、消化するだけの勤務になるのは嫌でしたし、立場の違いから、スタッフとも、ひずみが出来て、本心のコミュニケーションが取れず、心苦しくはありましたが、サロン勤務も3年半という長い間、一日も欠勤することなく、最後まで徹底して、貫徹やり通すことができました。信頼されて任されている、何より自由にやらせてもらえたからこそ、続けられたのだと思います。プライベートでは独立準備をしながら、サロン内では手技を研究し、運営面を学ぶことも出来ました。有難い有意義な日々でした。
※勤務開始1年目は、週4・5日 昼過ぎから夜間(寺院清掃と掛け持ち)勤務。2年目からは、サロン深夜勤務に集中・専念。ほぼ全日出勤。月1の休みに秘湯へ。(勤務明けに高速バス乗、♨宿で1泊・骨休み。翌日、帰京し出勤。)3年目からは、日曜休み(深夜営業なしの為)で、安定した勤務に移行。(勤務時間前後での内装・備品・WEB独立準備で、いつも寝不足状態・倦怠感の日々。)
※当時のサロン業界の薄給では、経済的にも、ここまで連日勤務しないと、遠からずの先の独立という道筋には、見通しが立たなかったということでしょう。
補足すると、自身は固定給・時給・歩合制などという一般的な枠組みではなく、深夜勤務に移行後は、言うなれば、変動制「存在料」という形態での給料体系ではありました。(勤務開始時間を夕方過ぎに電話で確認・調整しながら、サロンの予約状況・込み合い具合によって、夜間~早朝までの勤務。)サロン・マネージャーとの信頼関係がなければ、成り立ちません。
※手創りのインディペンデントサロンとはいえ、内装材料費・備品類の費用は掛かりますから。(施術ベッドだけは、奮発して、海外から取り寄せました。)
※また、月に1日しか休息日がなかった状況の中だからこそ、山奥に存在する「秘湯宿」での骨休みの有難みを感じる事も出来たのだと思います。
※独立後も、影ながら、気にかけてくれた女性スタッフの方がいてくれたのは、有難き幸せな事であると、今更ながら、感じてはいます。品行方正の聖人君子では、更々ありませんし、皆のお手本となる・指針となる善き先輩・リーダー格の存在では、ありませんでしたから。言わば、はぐれ者のユーモアとウィットを内包した、悲壮感漂う愚直心の塊のような存在。女性スタッフに対する、冗談・遊び心がなければ、3年半もの長い間、勤務する気持ちは続かなかったという側面は、この際に、記しておきたいと思います。心優しきスタッフに、自身が助けられていたのだと思います。そして、自身に長寿堂勤務という千載一遇の時間を与えてくれたマネージャー、ありがとうございました。
もう時効でしょうから。若気の至り記。以下、気分を害する方は、読み飛ばして頂いて構いません。
・スタッフ控室から外階段に飛び移り、何故かサロン入口から登場したり。
・お客様用のパンツ・ズボンに両腕を通し、長そでシャツに両足を通し、スタッフの目の前に現れたり。
・隣の空き個室で、一人二役で、お客様が来店された際の「こちらのお部屋にどうぞ。」「わー綺麗。素敵な部屋。」芝居を打ったり。
・隣の空き部屋のベッドの上で、施術が終わったスタッフを、逆立ち股開きで、待ち構えていたり。
・スタッフが施術中の個室ドアの摺りガラスの前で、腰振四這舞踏ダンスを、仕掛けたり。
・帰り際のスタッフの下足の中に、小さな置物を、忍び込ませていたり。
・他のスタッフは気にも留めない珍奇なくだらない局面で、独りプププッと笑いが止まらず、一日中、思い出し笑いをしていたり。
・勤務時間前にサロンの込み合い状況の確認TELをする際に、毎回違う偽名と声色で、電話をしたり。等々。
解読不能なシュールな行動は、数え上げたらキリがありません。スタッフは、呆れ返っていたとは思いますが、たまにはお情けで、調子を合わせてくれもしました。
連日勤務に起因する、自身の心の余裕の無さから、当たりがキツくなってしまったスタッフには、近寄り難い存在になってしまって、申し訳なかったという気持ちもありますし、自身より後にサロンに入った中核を成すメンバーが、一人去り、また一人去りの連続でしたので、その都度、心寂しさもありましたが、感傷に浸っている余裕もなく、独立という本来の目的の為に、集中しなければと、己を叱咤激励していました。
サロンに出勤した際の、いつも待ち構えていた安息のスタッフが、突然・前触れもなく去る際は、突発的に自身も直ぐにでも立ち去りたくはなりましたが、もう一度、気魂を入れ直し、もう自身も一刻の猶予もないと、独立に向けて最後の追い込み準備を、加速度的に始めたのでした。
その後、幾度かの夜明けを繰り返し、遂に、独り旅立ちの朝へ。無論、歩き出した先には「たけそらサロン」
皆々、時には常軌を逸した羽目外しで、ご迷惑をお掛けしました。元気で生活していてくれたら、幸いです。また、どこかで、ご縁があれば、お会いしましょう。
加筆後記
※当時の記憶を鮮明に蘇らせ、溢れ出す感情を、今書き留めねばと、超長文になってしまいました。
キーボードを打ちながら、幾多の想い出が、まざまざと脳内に覚醒し、穏やかに耽る・思わず失笑する・苦しくなる・涙が止まらないヒトトキもありました。
何も手を施さなければ、薄れゆくであろう記憶を、この機会に独り内省し、書き留めることが出来て、率直に、良かったと感じています。
このあたりで、一旦、お仕舞にしたいと思います。追憶回想。
※細字は、2015年に記述した文章になります。(幾分かの手直し・追記・加筆表現あり。)
※太字長文は、2026年・加筆文章になります。
※太字長文は、2026年・加筆文章になります。
サロン勤務/回想記|セラピストの独立雑記
東京新宿 整体たけそら|マッサージサロン
東京新宿 整体たけそら|マッサージサロン
●独立初期/現在/自己分析
いざ舟出・独立。しがらみのない新しい出会いから、スタートしたかったので、過去の友人・知人を呼ぶこともしませんでした。周りの大切な方々には、心配をかけたくない為、見栄もあってか、黙っていましたが、これ以上の底はないというゼロからの、ひっそりとしたスタートになりました。誇張するわけでもなく、本当に誰も来ませんでした。(充分な独立準備期間を設けたのにも関わらず、全く世の中に、認知されていない現実を、肌で感じることになりました。)
※独立当初は、営業時間13時~深夜3時でスタート。4・5ヶ月後に、15時~翌5時に移行する。(深夜の出張依頼が入り始めた為。)定休日はありませんが、サロン勤務時も同じような生活をしていたので、難局・難儀は感じなく、自分らしいワークライフバランスを続けてきました。(予約のない空き時間・深夜に、サウナ風呂浴・ミニシアター映画鑑賞で、暫し解放・息抜きをする日々。)
現実は厳しいものです。予約の電話が鳴らない。鳴っても、連日しつこい営業の電話ばかり。誰も来ない。孤立無援で風評被害でも起きているのかと、正直、思った時もありました。独立したら、波がサーッと引いていく感じでした。離れ孤島にいるような感覚。でも、閑古鳥が鳴く状況は、これまでの生活でも、いつも付き物でしたし、うだつが上がらず・鳴かず飛ばずを良しとする自分らしいなとも思い、腑に落ちる日々。
※当たり前ですが、サロン勤務時代は、経営側のマーケティングのお膳立ての下に、施術行為をしていました。基本的に、自身が何も情報発信をしなくても、勝手に予約が入ってくる状態の恩恵を受けていたわけです。(勤務終盤は、「たけそら」個人サロン側からの情報発信の影響で、勤務サロン側の方に、予約が入ってくる状況も、あったとは思いますが。)
ただ、いつも心に抱いていた気持ちは、1対1で身体に触れる仕事ですので、セラピストのイメージ・立ち位置スタンスから、たとえ敬遠され続けても、皆に好かれる為(予約を入れる為)、表面上を作り、または偽りの姿(白衣を着た満面の笑顔の写真等)をみせるこはできないという気持ちでした。青臭いようですが、媚びる位だったら、冷や飯を食っていた方がましという気持ち。その心情は数年を経た後でも変わりません。
※現在、目を通すと、私事ながら青二才で非常に恥ずかしいですが、自戒の念を込めて、あえて文章を残しておきます。
※自身の青年時代は、あらゆる環境において、マジョリティ多数派側に、存在していると、感じた事はないので、このような心情になってしまうのでしょう。
青年期のアイデンティティ・個の確立を持って、どんな状況においても、興味・関心事の少数派側としての自尊心を抱いて、自分らしい思想・信念を大切にして、心が揺らぐことはありませんでしたが。
※集団の中での孤独感を感じてはいたモラトリアム青年期を経て、いかなる時でも、心穏やかな感情を抱ける位には成熟し、または鈍感化していると思います。
独りで生業を営み、人様と比べる事もないので、柔和な存在でいられます。(固定化した集団内での、人間関係の心理的摩擦がないので、ストレスフリーな状態。)
たけそら業は、クライアントの方と密に接することになるので、普段の生活・日々の暮らしにおいて、独業の寂しさを感じ・心に雲がかかりそうになる事は稀です。
※サロン運営について言えば、自身の興味関心・思想信念が、もしも多数派側の人間であったならば、独立サロン・セラピストとして、飯を食っていくのは、これ程までに苦労する事もなく、もっと楽であっただろう事は、想像に難くないです。
こればかりは、どうすることも出来ませんので、敬遠されること、自身・世の中のさがを受け入れて、軽妙洒脱に邁進するのみです。
あくまでも売りは施術です。整体・マッサージをする手仕事です。ですからWEB上でも、もっと正攻法で、技スキルを前面に出しても良いのでしょうが、自身の持ち味を表現することに、自問自答しながら苦心していました。自分よりも技術のある(自分は技術を研究する身)、またはセンスのある(自分はセンスを磨く身)・徳のある人(自分は徳を積む身)も探せば、この業界・世の中には他にいくらでもいるでしょうから。
奇しくも、結果的に3カ月程の助走期間を経て、低空飛行ながら徐々に回り始めました。ただ、この期間がなかったとしたら、自分自身に対して、嘘・インチキ臭く思えてしまったと思うのです。今日は予約が入った、今日はダメだったと、首の皮一枚繋がる毎日の中で、見極めも必要ですが、サバイブする為に、泥臭くとも諦めない心意気が大事なのだと、心底から実感しました。
※膠着状態から脱出する為、現状のままでは進展がないと思い直し、独立2ケ月後に、整体マッサージコース・半額キャンペーン(60分3000円)を実施して、ぽつりぽつりと、来店される方が現れ始めました。(2ケ月弱の間、実施。)以降は、サロン・タイムサービスを開始する。(現在も、継続中。)
※2025年3月に、経験・技術・知識の蓄積と、物価上昇による施術料金の改定をしましたが、未だ低価格の施術料金(金子の匂わない)に抑えています。
※当時から、今日の施術が駄目だったら、明日から施術の予約・依頼はないと、自己を奮い立たせて、現在に到ります。
誰も来ないなら、サロンで待っていても埒が明かないと、自分から外に出ていくべしと、出張業務にも励むことにしました。予約が入れば、営業時間外でも、どんな症状でも、どんな場所・状況でも、振り幅広く・先入観なく受け入れ、臨機応変に、目の前のお客さんに向かい合うことだけで、日々は過ぎて行きました。誰でも良いという方の、やりがいのない出張依頼もありましたが、仕事があるだけで有難いと、無我夢中だったと思います。
※この局面で真面な施術が出来るのは、自分位なものだと感じることも、全く理解されずに、徒労感で哀しくなることも、幾度と知れず、あったかと思います。
「貴方に是非とも来てほしい。」と訪問依頼をする方の為ならば、現在も、嬉々として訪問先に出掛けています。ご遠慮なさらずに、ご依頼いただければ幸いです。
「たけそら」として、存在としての「誇り」はありますが、くだらないプライドはないのです。(常日頃のセラピストは、腰が低く・物腰が柔らかいかと思います。)
※独立当初の、施術がしたくても、出来ない期間があったからこそ、施術が出来る有難みを、感じていたと思います。
現在でも変わらず、選んで頂ける事は有難いと、しみじみと感じています。
地道なWEBサイト更新作業により、インターネットの検索結果も上がって来て、WEB上には出てこない、対面での口コミも自然発生するようになって来たのでしょう。その後も、波はありますが、サロンとしても、セラピストとしても、少しずつ成長し続けています。身体能力に関しても、日々のトレーニングとケアを通して、まだまだ向上・進化している実感があります。
※段々と、身体操作の鍛錬に掛ける時間が、1日2時間を超え始めた時期でした。組み入れ・取捨選択作業の年月を経て、現在は、1日90分前後(その日の身体状態で、動き・型の種目・回数を調整。)に、落ち着いています。(年齢と共に、疲労感が抜けなくなっている為もあり。)
※2025年初夏から、サロン勤務以来の深夜型生活を、基本的には朝型の生活に切り替えました。(深夜に施術を行った場合は、昼前に起床の日もあり。)
身体調整作業に関しては、以前と変わらずに、起床後と、夕方前後の空き時間の、日に二回が基本になっています。
身体状態を意識・確認しながら、瞑想・マインドフルネスしながら、機能解剖学用語を心中で唱え・頭中でイメージしながらの、この毎日の習慣・ルーティンが、サロン・セラピスト活動の下支えです。
インディペンデントな個人プライベートサロンですので、これからも自分の色が滲み出てくる存在であり続ける事が大切です。過去の営業マンの仕事経験から、知識・口先で、身になってない健康情報を伝えることは、いくらでも可能でしょうから。自分の感性で実践してきた経験から得た言の葉だけが、相手の心に響く共感を生むことが出来るのだと思います。
※現在は、AIの進化で、ネット上で、幾らでも簡単に情報を入手できますので、尚更、実践体験からの「言の葉」だけが、価値があるのでしょう。
深夜の時間帯は、出張の予約が重なり、留守番電話の無人状態になる時間帯が増えて来ましたが、今後も、バイトも弟子もとるつもりはありません。現状、自分の事・体調管理だけで、独り飯を食うのが精一杯ですし、まだまだ自分だけで徹底的に突き詰め、極める事があり続けます。
20代中盤で弟子として整体院にお世話になり、施術経験を積んだ自分にとっては、下の世代に無償でお返しをするのは、当然の事でしょうが、今は時間的にも金銭的にも余裕がないというのが実情です。数年を経た後でも、状況は変わりません。
将来的には、過去の自分の弟子時代と同じように、金銭関係の発生しない形(月謝なし、給料なし、金がないならば飯ぐらいは食わせる。)での、伝え方が理想です。今でも、「師匠の整体院」には、本当にお世話になったと、ただただ感謝の気持ちだけだからです。
いざ舟出・独立。しがらみのない新しい出会いから、スタートしたかったので、過去の友人・知人を呼ぶこともしませんでした。周りの大切な方々には、心配をかけたくない為、見栄もあってか、黙っていましたが、これ以上の底はないというゼロからの、ひっそりとしたスタートになりました。誇張するわけでもなく、本当に誰も来ませんでした。(充分な独立準備期間を設けたのにも関わらず、全く世の中に、認知されていない現実を、肌で感じることになりました。)
※独立当初は、営業時間13時~深夜3時でスタート。4・5ヶ月後に、15時~翌5時に移行する。(深夜の出張依頼が入り始めた為。)定休日はありませんが、サロン勤務時も同じような生活をしていたので、難局・難儀は感じなく、自分らしいワークライフバランスを続けてきました。(予約のない空き時間・深夜に、サウナ風呂浴・ミニシアター映画鑑賞で、暫し解放・息抜きをする日々。)
現実は厳しいものです。予約の電話が鳴らない。鳴っても、連日しつこい営業の電話ばかり。誰も来ない。孤立無援で風評被害でも起きているのかと、正直、思った時もありました。独立したら、波がサーッと引いていく感じでした。離れ孤島にいるような感覚。でも、閑古鳥が鳴く状況は、これまでの生活でも、いつも付き物でしたし、うだつが上がらず・鳴かず飛ばずを良しとする自分らしいなとも思い、腑に落ちる日々。
※当たり前ですが、サロン勤務時代は、経営側のマーケティングのお膳立ての下に、施術行為をしていました。基本的に、自身が何も情報発信をしなくても、勝手に予約が入ってくる状態の恩恵を受けていたわけです。(勤務終盤は、「たけそら」個人サロン側からの情報発信の影響で、勤務サロン側の方に、予約が入ってくる状況も、あったとは思いますが。)
ただ、いつも心に抱いていた気持ちは、1対1で身体に触れる仕事ですので、セラピストのイメージ・立ち位置スタンスから、たとえ敬遠され続けても、皆に好かれる為(予約を入れる為)、表面上を作り、または偽りの姿(白衣を着た満面の笑顔の写真等)をみせるこはできないという気持ちでした。青臭いようですが、媚びる位だったら、冷や飯を食っていた方がましという気持ち。その心情は数年を経た後でも変わりません。
※現在、目を通すと、私事ながら青二才で非常に恥ずかしいですが、自戒の念を込めて、あえて文章を残しておきます。
※自身の青年時代は、あらゆる環境において、マジョリティ多数派側に、存在していると、感じた事はないので、このような心情になってしまうのでしょう。
青年期のアイデンティティ・個の確立を持って、どんな状況においても、興味・関心事の少数派側としての自尊心を抱いて、自分らしい思想・信念を大切にして、心が揺らぐことはありませんでしたが。
※集団の中での孤独感を感じてはいたモラトリアム青年期を経て、いかなる時でも、心穏やかな感情を抱ける位には成熟し、または鈍感化していると思います。
独りで生業を営み、人様と比べる事もないので、柔和な存在でいられます。(固定化した集団内での、人間関係の心理的摩擦がないので、ストレスフリーな状態。)
たけそら業は、クライアントの方と密に接することになるので、普段の生活・日々の暮らしにおいて、独業の寂しさを感じ・心に雲がかかりそうになる事は稀です。
※サロン運営について言えば、自身の興味関心・思想信念が、もしも多数派側の人間であったならば、独立サロン・セラピストとして、飯を食っていくのは、これ程までに苦労する事もなく、もっと楽であっただろう事は、想像に難くないです。
こればかりは、どうすることも出来ませんので、敬遠されること、自身・世の中のさがを受け入れて、軽妙洒脱に邁進するのみです。
あくまでも売りは施術です。整体・マッサージをする手仕事です。ですからWEB上でも、もっと正攻法で、技スキルを前面に出しても良いのでしょうが、自身の持ち味を表現することに、自問自答しながら苦心していました。自分よりも技術のある(自分は技術を研究する身)、またはセンスのある(自分はセンスを磨く身)・徳のある人(自分は徳を積む身)も探せば、この業界・世の中には他にいくらでもいるでしょうから。
奇しくも、結果的に3カ月程の助走期間を経て、低空飛行ながら徐々に回り始めました。ただ、この期間がなかったとしたら、自分自身に対して、嘘・インチキ臭く思えてしまったと思うのです。今日は予約が入った、今日はダメだったと、首の皮一枚繋がる毎日の中で、見極めも必要ですが、サバイブする為に、泥臭くとも諦めない心意気が大事なのだと、心底から実感しました。
※膠着状態から脱出する為、現状のままでは進展がないと思い直し、独立2ケ月後に、整体マッサージコース・半額キャンペーン(60分3000円)を実施して、ぽつりぽつりと、来店される方が現れ始めました。(2ケ月弱の間、実施。)以降は、サロン・タイムサービスを開始する。(現在も、継続中。)
※2025年3月に、経験・技術・知識の蓄積と、物価上昇による施術料金の改定をしましたが、未だ低価格の施術料金(金子の匂わない)に抑えています。
※当時から、今日の施術が駄目だったら、明日から施術の予約・依頼はないと、自己を奮い立たせて、現在に到ります。
誰も来ないなら、サロンで待っていても埒が明かないと、自分から外に出ていくべしと、出張業務にも励むことにしました。予約が入れば、営業時間外でも、どんな症状でも、どんな場所・状況でも、振り幅広く・先入観なく受け入れ、臨機応変に、目の前のお客さんに向かい合うことだけで、日々は過ぎて行きました。誰でも良いという方の、やりがいのない出張依頼もありましたが、仕事があるだけで有難いと、無我夢中だったと思います。
※この局面で真面な施術が出来るのは、自分位なものだと感じることも、全く理解されずに、徒労感で哀しくなることも、幾度と知れず、あったかと思います。
「貴方に是非とも来てほしい。」と訪問依頼をする方の為ならば、現在も、嬉々として訪問先に出掛けています。ご遠慮なさらずに、ご依頼いただければ幸いです。
「たけそら」として、存在としての「誇り」はありますが、くだらないプライドはないのです。(常日頃のセラピストは、腰が低く・物腰が柔らかいかと思います。)
※独立当初の、施術がしたくても、出来ない期間があったからこそ、施術が出来る有難みを、感じていたと思います。
現在でも変わらず、選んで頂ける事は有難いと、しみじみと感じています。
地道なWEBサイト更新作業により、インターネットの検索結果も上がって来て、WEB上には出てこない、対面での口コミも自然発生するようになって来たのでしょう。その後も、波はありますが、サロンとしても、セラピストとしても、少しずつ成長し続けています。身体能力に関しても、日々のトレーニングとケアを通して、まだまだ向上・進化している実感があります。
※段々と、身体操作の鍛錬に掛ける時間が、1日2時間を超え始めた時期でした。組み入れ・取捨選択作業の年月を経て、現在は、1日90分前後(その日の身体状態で、動き・型の種目・回数を調整。)に、落ち着いています。(年齢と共に、疲労感が抜けなくなっている為もあり。)
※2025年初夏から、サロン勤務以来の深夜型生活を、基本的には朝型の生活に切り替えました。(深夜に施術を行った場合は、昼前に起床の日もあり。)
身体調整作業に関しては、以前と変わらずに、起床後と、夕方前後の空き時間の、日に二回が基本になっています。
身体状態を意識・確認しながら、瞑想・マインドフルネスしながら、機能解剖学用語を心中で唱え・頭中でイメージしながらの、この毎日の習慣・ルーティンが、サロン・セラピスト活動の下支えです。
インディペンデントな個人プライベートサロンですので、これからも自分の色が滲み出てくる存在であり続ける事が大切です。過去の営業マンの仕事経験から、知識・口先で、身になってない健康情報を伝えることは、いくらでも可能でしょうから。自分の感性で実践してきた経験から得た言の葉だけが、相手の心に響く共感を生むことが出来るのだと思います。
※現在は、AIの進化で、ネット上で、幾らでも簡単に情報を入手できますので、尚更、実践体験からの「言の葉」だけが、価値があるのでしょう。
深夜の時間帯は、出張の予約が重なり、留守番電話の無人状態になる時間帯が増えて来ましたが、今後も、バイトも弟子もとるつもりはありません。現状、自分の事・体調管理だけで、独り飯を食うのが精一杯ですし、まだまだ自分だけで徹底的に突き詰め、極める事があり続けます。
20代中盤で弟子として整体院にお世話になり、施術経験を積んだ自分にとっては、下の世代に無償でお返しをするのは、当然の事でしょうが、今は時間的にも金銭的にも余裕がないというのが実情です。数年を経た後でも、状況は変わりません。
将来的には、過去の自分の弟子時代と同じように、金銭関係の発生しない形(月謝なし、給料なし、金がないならば飯ぐらいは食わせる。)での、伝え方が理想です。今でも、「師匠の整体院」には、本当にお世話になったと、ただただ感謝の気持ちだけだからです。
※細字は、2015年に記述した文章になります。(幾分かの手直し・追記・加筆表現あり。)
※太字長文は、2026年・加筆文章になります。
※太字長文は、2026年・加筆文章になります。
独立初期/現在/自己分析|セラピストの独立雑記
東京新宿 整体たけそら|プライベートサロン
東京新宿 整体たけそら|プライベートサロン
●澤村整体療術院/原初・院長 澤村宗(空手家・歌手)
現在も古淵駅前のビル内にある整体院。当時は、付近に道場「宗風館」もありました。
緊張しながらも、飛び込み・訪問し、弟子入りを志願。何処の馬の骨かもわからない自分を、院長(先ず豪快・豪気で、豊富・多様な人生経験の積み重ねから滲み出る人情味のある方でした。当時の自分に足りないピースである、社交性・外向性、器の大きさ等を全て兼ね備えている師匠でありました。)は、懐深く即断即決で、受け入れて頂き、次の日から通い始めました。自身の施術業の出発点。
メニエール病(回転性めまいと吐き気・自身にとっての初めての病気体験。)発症後の体調不良から回復し、漠然とした今後の抱負(若造ながらの慈悲の心で、身体に触れたいという願い。自身は全く受けたこともない「整体」の施術に興味があり、手ほどきを受けたい。)を、全くもって想定外の知人に話したら、思いがけず「本気でやりたいんだったら、行って来い。」との言葉を、妙なことに受け取り、半信半疑ではありましたが、次の日、口頭と手書きの地図で教えられた場所に向かうと、不意に「弟子募集」の張り紙が貼ってあり、心を決める。細モヒカン・マンバン頭の珍妙青年が、腹をくくって、新たな扉を開けたのでした。
施術は、前半の「ほぐし」を担当して、院長・他先生に繋ぐのが、役目でした。先生が施術中は、脇で正座して、手技を盗むべく集中。施術メモ帳に記述。空き時間は、施術型の独り稽古。「習うより、慣れろ」での指導法。自分には、放任主義の空気・自由感が、合っていました。受付業務、掃除・片付け、お使い等の雑用も、自分にとっては、意義深い時間でした。
解剖学他の知識に関しては、後に、施術業に舞い戻るきっかけとなる(充電中に、竹林の伐採を手伝っていた際に、思い立ち・決心する。)、中医薬大学日本に通う際に、机上で勉強し始めました。
当時は、弟子扱いでしたので、給料もありませんが、たびたびメシ飯も出して頂き、有難かったです。しばしば使い走りタバコ代のおつりの小遣いも。昼間は、他所で働き、夜間・週5,6日、通う日々でした。弟子期間中は、整体院での業務終了後に、院長とのビール時間で、幾度となく「自分で整体をやれ」と言われていたものです。(具体的な自立方法を、提示して頂いたわけではありません。「存在を感じろ。」「お前の後ろ盾には俺がいるんだから、大丈夫だ。自身を持て。」「笑う時は、ガッハッハと笑うんだ。」ということだったのではないかと思います。)当時は、先の道筋が見通せず、施術で自立する事は、皆目、見当もつきませんでしたが。院内のマットの上で、安堵の寝泊まりをして、早朝に、仕事に向かう日も多かったです。
温かい処であり、自分の居場所・拠り所になっていました。懐かしい日々です。大変、お世話になりました。感謝です。
その後、短し弟子生活に区切りをつけて、時を移さず、四国野宿遍路へ。不肖の弟子でありました。追懐。
●「四国野宿遍路旅」ーある日の夜、整体院からの帰り道、門下の先生から、何気なく「溝延君みたいなのは、四国に遍路に行った方がいいんじゃない。」との言葉を頂き、その場で即座に、「僕、行きます。」との言葉が、自身の深奥から出てきました。(元々、秩父・坂東観音霊場は徒歩巡礼を終えていたので、四国遍路も、いずれはという気持ちもありましたが、現実的ではないので、心に蓋をしている状態ではありました。)先生は、思い悩む青年の、何かを感じ取っていたのかもしれません。整体院の弟子生活に区切りをつけるなら、昼間の仕事をする意味もなかったので(整体院に通うために従事し、本来やりたい仕事ではないので。)、昼間の仕事場に退職の願い・胸中を告げ、消化していない有給休暇の10日余りの期間に、派遣の日雇いバイトをして、野宿旅の資金・小銭を貯めました。(お接待ありの野宿旅と言えど、真夏の炎天下での飲食費・玉のように噴き出す汗を流す風呂代・お賽銭と御朱印代は、必要ですから。)
名残惜しき弟子生活に別れを告げ、モヒカンを断髪・刈り落とし、学生時代以来の坊主頭で、夜明けと共に、鈍行列車を乗り継いで、バックパック青春旅へ。
満身創痍の一念発起。ここぞという時には、自身の下に、有難き言葉が、身近な方々から届くのでした。背水之陣。
巡礼・遍路旅について、詳しくはリンク先へ→巡礼・遍路/セラピスト
現在も古淵駅前のビル内にある整体院。当時は、付近に道場「宗風館」もありました。
緊張しながらも、飛び込み・訪問し、弟子入りを志願。何処の馬の骨かもわからない自分を、院長(先ず豪快・豪気で、豊富・多様な人生経験の積み重ねから滲み出る人情味のある方でした。当時の自分に足りないピースである、社交性・外向性、器の大きさ等を全て兼ね備えている師匠でありました。)は、懐深く即断即決で、受け入れて頂き、次の日から通い始めました。自身の施術業の出発点。
メニエール病(回転性めまいと吐き気・自身にとっての初めての病気体験。)発症後の体調不良から回復し、漠然とした今後の抱負(若造ながらの慈悲の心で、身体に触れたいという願い。自身は全く受けたこともない「整体」の施術に興味があり、手ほどきを受けたい。)を、全くもって想定外の知人に話したら、思いがけず「本気でやりたいんだったら、行って来い。」との言葉を、妙なことに受け取り、半信半疑ではありましたが、次の日、口頭と手書きの地図で教えられた場所に向かうと、不意に「弟子募集」の張り紙が貼ってあり、心を決める。細モヒカン・マンバン頭の珍妙青年が、腹をくくって、新たな扉を開けたのでした。
施術は、前半の「ほぐし」を担当して、院長・他先生に繋ぐのが、役目でした。先生が施術中は、脇で正座して、手技を盗むべく集中。施術メモ帳に記述。空き時間は、施術型の独り稽古。「習うより、慣れろ」での指導法。自分には、放任主義の空気・自由感が、合っていました。受付業務、掃除・片付け、お使い等の雑用も、自分にとっては、意義深い時間でした。
解剖学他の知識に関しては、後に、施術業に舞い戻るきっかけとなる(充電中に、竹林の伐採を手伝っていた際に、思い立ち・決心する。)、中医薬大学日本に通う際に、机上で勉強し始めました。
当時は、弟子扱いでしたので、給料もありませんが、たびたびメシ飯も出して頂き、有難かったです。しばしば使い走りタバコ代のおつりの小遣いも。昼間は、他所で働き、夜間・週5,6日、通う日々でした。弟子期間中は、整体院での業務終了後に、院長とのビール時間で、幾度となく「自分で整体をやれ」と言われていたものです。(具体的な自立方法を、提示して頂いたわけではありません。「存在を感じろ。」「お前の後ろ盾には俺がいるんだから、大丈夫だ。自身を持て。」「笑う時は、ガッハッハと笑うんだ。」ということだったのではないかと思います。)当時は、先の道筋が見通せず、施術で自立する事は、皆目、見当もつきませんでしたが。院内のマットの上で、安堵の寝泊まりをして、早朝に、仕事に向かう日も多かったです。
温かい処であり、自分の居場所・拠り所になっていました。懐かしい日々です。大変、お世話になりました。感謝です。
その後、短し弟子生活に区切りをつけて、時を移さず、四国野宿遍路へ。不肖の弟子でありました。追懐。
●「四国野宿遍路旅」ーある日の夜、整体院からの帰り道、門下の先生から、何気なく「溝延君みたいなのは、四国に遍路に行った方がいいんじゃない。」との言葉を頂き、その場で即座に、「僕、行きます。」との言葉が、自身の深奥から出てきました。(元々、秩父・坂東観音霊場は徒歩巡礼を終えていたので、四国遍路も、いずれはという気持ちもありましたが、現実的ではないので、心に蓋をしている状態ではありました。)先生は、思い悩む青年の、何かを感じ取っていたのかもしれません。整体院の弟子生活に区切りをつけるなら、昼間の仕事をする意味もなかったので(整体院に通うために従事し、本来やりたい仕事ではないので。)、昼間の仕事場に退職の願い・胸中を告げ、消化していない有給休暇の10日余りの期間に、派遣の日雇いバイトをして、野宿旅の資金・小銭を貯めました。(お接待ありの野宿旅と言えど、真夏の炎天下での飲食費・玉のように噴き出す汗を流す風呂代・お賽銭と御朱印代は、必要ですから。)
名残惜しき弟子生活に別れを告げ、モヒカンを断髪・刈り落とし、学生時代以来の坊主頭で、夜明けと共に、鈍行列車を乗り継いで、バックパック青春旅へ。
満身創痍の一念発起。ここぞという時には、自身の下に、有難き言葉が、身近な方々から届くのでした。背水之陣。
巡礼・遍路旅について、詳しくはリンク先へ→巡礼・遍路/セラピスト
●身体/施術ワークショップ
※2024年夏から、メインのサロンワークではありませんが、ご要望があれば、「身体/施術ワークショップ」を始めました。
サロンの経営基盤を成り立たせる為に、行う形態ではありませんので、定期的に開催している会合ではありません。
過去の自身の経験から、切実な強い想いのある方には、無償で行う事を前提としています。
※指導する人・団体が、世の中、数多ある中で、奇天烈・風変わりな「たけそらセラピスト」から、手ほどきを受ける行為は、伝統芸能・工芸の世界に弟子入りする位に、甚だしくニッチな奇特な行為になるかと思います。
九分九厘以上の方は、一般的な社会的成功とは無縁のたけそらセラピストに、教えを切望・希求することは、毛頭ないでしょう。
それ故に、当方から積極的に、ワークショップに関して、誰彼問わず、働きかけることは、皆無です。
※たけそらセラピストは、「独り一派」ですから、再現する事は不可能なのでしょうが、貴方個人の生活の積み重ねがあるでしょうから、その基盤の上で、得られる心境・身体の認識があるのかと思います。(論を俟たずして明白ですが、仏像彫刻を始める事から着手し、始動して頂きたいと、考えているわけではありません。)
※情報が溢れるネット社会の現在では、安直な場当たり的な考え・SNSのタイムライン広告等での出会いでは、可能性の無駄遣いであり、勿体ないです。下手をすれば、営利目的で搾取されるだけの機会になるかもしれません。如何程の時間を費やしてでも、指針となる存在・教えを乞う存在を、血眼(ちまなこ)になって、探し求め、訪ね歩いた方が良いかと思います。最初に踏み出した一歩で、その後の道程が決まるでしょうから。気概のある若き方々の、ご健闘をお祈りいたします。
※いずれにしても、自身の過去を顧みると、情報入手が困難な時代ではありましたが、善き方々との出会いは、泥水をすする境遇の只中での、偶然ではありましたが、運命的な巡り合わせ・邂逅だったのだと思います。泥中之蓮。
仏像彫刻について、詳しくはリンク先へ→ブッダ・ハンド/セラピスト
※2024年夏から、メインのサロンワークではありませんが、ご要望があれば、「身体/施術ワークショップ」を始めました。
サロンの経営基盤を成り立たせる為に、行う形態ではありませんので、定期的に開催している会合ではありません。
過去の自身の経験から、切実な強い想いのある方には、無償で行う事を前提としています。
※指導する人・団体が、世の中、数多ある中で、奇天烈・風変わりな「たけそらセラピスト」から、手ほどきを受ける行為は、伝統芸能・工芸の世界に弟子入りする位に、甚だしくニッチな奇特な行為になるかと思います。
九分九厘以上の方は、一般的な社会的成功とは無縁のたけそらセラピストに、教えを切望・希求することは、毛頭ないでしょう。
それ故に、当方から積極的に、ワークショップに関して、誰彼問わず、働きかけることは、皆無です。
※たけそらセラピストは、「独り一派」ですから、再現する事は不可能なのでしょうが、貴方個人の生活の積み重ねがあるでしょうから、その基盤の上で、得られる心境・身体の認識があるのかと思います。(論を俟たずして明白ですが、仏像彫刻を始める事から着手し、始動して頂きたいと、考えているわけではありません。)
※情報が溢れるネット社会の現在では、安直な場当たり的な考え・SNSのタイムライン広告等での出会いでは、可能性の無駄遣いであり、勿体ないです。下手をすれば、営利目的で搾取されるだけの機会になるかもしれません。如何程の時間を費やしてでも、指針となる存在・教えを乞う存在を、血眼(ちまなこ)になって、探し求め、訪ね歩いた方が良いかと思います。最初に踏み出した一歩で、その後の道程が決まるでしょうから。気概のある若き方々の、ご健闘をお祈りいたします。
※いずれにしても、自身の過去を顧みると、情報入手が困難な時代ではありましたが、善き方々との出会いは、泥水をすする境遇の只中での、偶然ではありましたが、運命的な巡り合わせ・邂逅だったのだと思います。泥中之蓮。
仏像彫刻について、詳しくはリンク先へ→ブッダ・ハンド/セラピスト
●「独り一派」追記。
「個人サロンを始めたいという意欲・希望を持ちながらも、金銭・人脈がなく、あがき・もがく若き方々がいるならば」
大丈夫です。本気でやりたい事であるならば、本気で取り組む強い想いがあるならば、金銭・人脈が何もなくても、舟を漕ぎ出せます。(高給取りの脱サラ・水商売経験での金銭・人脈等、がなくても始められます。)漕ぎ出す先が、何処なのかも、誰が乗ってくるのかも、泥の舟に乗って沈むのかも、貴方次第です。
全ては、創意工夫と熱意です。エキセントリックな「たけそらセラピスト」よりも、苦労することはないでしょう。後になって後悔しない為にも、ゼンシンゼンレイで、日々の全てのワークに、取り組んでください。賃貸物件の2年後の家賃更新を待たずして、廃業することになっては、勿体ないです。サロン・セラピストの存在を証明する為の、受け売りの虚飾・虚栄ではない、生身の身体の思考・行動で、ありとあらゆる可能性を使い切って、それでも駄目ならば、諦めもつくでしょう。
個人サロンに、いわゆる成功(定義は人其々ですが、身の丈の恩返し・社会貢献だと思います。)の方程式などはないと思います。セラピスト其々の、歩む道程は、千差万別でしょうから。
他個人サロンを比較・参考にしても、くたびれ損です。二番煎じ・三番煎じに成るだけですし、日々の積み重ねが、水泡に帰する事になるかもしれません。
既存のルートは、混雑していて、後発の存在では、全く通り抜ける事はできないでしょうから、道なき道を歩み続けた方が、目的地に辿りつくことが出来るかもしれません。
短期間では徒労に終わるような、先の長い地道なトンネル作業も、信じて続けていくことで、けもの道を抜けて、視界が開けるのではないでしょうか。
そもそも人気・個人サロンなど、本当に存在するのかどうかも、自分には分かりません。
自称人気サロンは、掃いて捨てる程に存在しているのでしょうし、友人・知人・前職での人脈を生かして、運営しているだけかもしれませんから。
(天地返しで、世の中の価値感が、ひっくり返らない限り、「たけそらサロン」は人気サロンなどではありません。)
最後の踏ん張りは、インディペンデント・スピリットです。
是非とも、貴方も、有為転変の無常の世の中に、栄枯盛衰を乗り越えられる存在として、心優しき「独り一派」の旗揚げを。
「個人サロンを始めたいという意欲・希望を持ちながらも、金銭・人脈がなく、あがき・もがく若き方々がいるならば」
大丈夫です。本気でやりたい事であるならば、本気で取り組む強い想いがあるならば、金銭・人脈が何もなくても、舟を漕ぎ出せます。(高給取りの脱サラ・水商売経験での金銭・人脈等、がなくても始められます。)漕ぎ出す先が、何処なのかも、誰が乗ってくるのかも、泥の舟に乗って沈むのかも、貴方次第です。
全ては、創意工夫と熱意です。エキセントリックな「たけそらセラピスト」よりも、苦労することはないでしょう。後になって後悔しない為にも、ゼンシンゼンレイで、日々の全てのワークに、取り組んでください。賃貸物件の2年後の家賃更新を待たずして、廃業することになっては、勿体ないです。サロン・セラピストの存在を証明する為の、受け売りの虚飾・虚栄ではない、生身の身体の思考・行動で、ありとあらゆる可能性を使い切って、それでも駄目ならば、諦めもつくでしょう。
個人サロンに、いわゆる成功(定義は人其々ですが、身の丈の恩返し・社会貢献だと思います。)の方程式などはないと思います。セラピスト其々の、歩む道程は、千差万別でしょうから。
他個人サロンを比較・参考にしても、くたびれ損です。二番煎じ・三番煎じに成るだけですし、日々の積み重ねが、水泡に帰する事になるかもしれません。
既存のルートは、混雑していて、後発の存在では、全く通り抜ける事はできないでしょうから、道なき道を歩み続けた方が、目的地に辿りつくことが出来るかもしれません。
短期間では徒労に終わるような、先の長い地道なトンネル作業も、信じて続けていくことで、けもの道を抜けて、視界が開けるのではないでしょうか。
そもそも人気・個人サロンなど、本当に存在するのかどうかも、自分には分かりません。
自称人気サロンは、掃いて捨てる程に存在しているのでしょうし、友人・知人・前職での人脈を生かして、運営しているだけかもしれませんから。
(天地返しで、世の中の価値感が、ひっくり返らない限り、「たけそらサロン」は人気サロンなどではありません。)
最後の踏ん張りは、インディペンデント・スピリットです。
是非とも、貴方も、有為転変の無常の世の中に、栄枯盛衰を乗り越えられる存在として、心優しき「独り一派」の旗揚げを。
■「独立心と志を持ちながらも、他に何もなく、途方に暮れる若き方々がいるならば」
志があれば、何もなくても、大丈夫です。金銭がなければ、運命の「師匠」を探して、弟子になる道があります。(貴方という存在を、無償で親身になってくれる方は、何処かに必ずいるのだと思います。諦めないでください。まだ何も始まっていないのですから。)生活費の工面に関しては、昼間か夜間に、別の仕事に従事して、持ち堪えるしかないです。弟子という目的のある生活の為、精神面では充実した日々になると思います。弟子生活に区切りをつけた後は、自分で新しい道(他所で、整体院・サロン勤務をするのか、はたまた、畑違いの仕事に従事するのか)を切り開くしかありません。(長期間の弟子生活に関しては、自分は分かりませんが、師匠の整体院を引き継ぐ・暖簾分けをしてもらうのであれば、良いとは思います。)
※世の中は、平等ではありませんし、身の上を嘆いていても、何も始まりません。思い立ったら、即座に、行動あるのみです。充実した毎日を送れば、お金がなくても、心は豊かですから。また、初期衝動を起こす為には、一旦、底の底に沈殿してから、猛烈に浮き上がる必要があるのかもしれません。そこまでの想いの奮起がないのであれば、授業料を複数回払いにお願いして、専門学校・スクールに通う方が、無難でしょう。
貯金があるならば、専門学校・スクール(本気で勉強すれば、1年制で十分でしょう。)に入校することです。どの程度の山を登り詰めることが出来るかは、カリキュラム次第という面もあるでしょうが、本人の意欲があれば、創意工夫で逆境を跳ね返し、何処の学校・スクールでも、大差はないのではないでしょうか。20代前半迄ならば、3年制の専門学校に通い、世間に認知されている国家資格を取得した方が良いのでしょうが、社会人になってからは、そんな悠長な事をやってられないでしょうし、気長に気持ちを持続させるのは大変でしょうから。いずれにしても、人其々です。
※民間資格は、取得しても、お飾りに過ぎませんので、取得に拘らなくて良いかと思います。実際に、自分にとっては、中国整体士の資格証は、サロン内のお飾り状態・置物と化しています。(蝋燭の火で燃やせば、灰燼に帰すだけの紙切れです。学生時代の勉励の記憶と思い出のみが、今も宝物です。)ご新規のクライアントの方々を、最低限・安心させる事が出来る効力は、あるのでしょう。資格・ディプロマ等を取得しなくても、日々、研鑽を積み重ねていれば、生の施術で、クライアントの方に安心を伝えられると思います。
たけそらセラピストのサロン勤務状態・状況を、反面教師的に、受け取ってもらった上で、自身が考えるベストな「独立までの道程」を提示します。決して、たけそらセラピストのサロン勤務時代(連日勤務)を、見習わない方が良いです。誰も真似はしたくないし、出来ないのでしょうが。
学生生活を終えた後は、サロン勤務に進むことになると思いますが、勤務することになるサロンも「御縁」です。貴方と相性の良いサロンが、何処にあるのかも分かりません。サロン勤務は、2年程は継続された方が良いかと思います。※スクール在籍時に、サロン勤務の片手間バイトをして、スクール卒業と同時に、個人サロンを開業する方もいるのでしょうが、自分は、お勧めはしません。(社会人としての経験が長く・豊富な方は、大丈夫なのだと思います。)
※要は、専門学校・スクール1年+サロン勤務2年の「石の上にも三年」です。「虚仮の一念、岩をも通す」の心持ち。
1年目は、施術経験を積み、サロン業務全般を覚え、サロン内の1年の流れ(春夏秋冬)を掴む必要があるでしょう。出勤から退勤までの1日の業務を、ルーティンワークとして、身体に沁み込ませることが大事です。また、業務に慣れてきたら、週6日の鬼勤務をして、独立費用の為の貯金をする必要もあるかと思います。英気を養う休養日は週1日で十分でしょう。
※期待と不安が入り混じるスタートからの1年目の期間は、新しい環境でのワークで、施術士としても新鮮な日々です。先ずは、独立心は、心の片隅に仕舞い込んで、普段の日常では、考えなくても良いでしょう。何より、貴方と相性の良い仲間に恵まれて、心の亀裂なく、楽しく働ければ、順調・上々の日々です。勤務後に共に飲食出来る、サロン退職・独立後も交流できる善き仲間に出会えると最高でしょう。結局のことろ、最後は、人との繋がりだけが、残るでしょうから。(楽しき思い出も。)
2年目は、出勤日を減らし、週5日の安定勤務に移行。独立準備1日。休養1日。新鮮な心持ちを保持し、施術手技を研鑽しながらも、お世話になっているサロンへの「恩返し」として、
・後輩セラピストを1人前に育て上げる。先輩セラピストとして、スタッフ育成システムを練り上げる。
・サロン業務が更に円滑に廻るように、経営者・マネージャーと一緒に、サロン内システムを創り上げる。
・自身がいなくなっても、サロンブランドを維持・継続・発展していけるように、後輩に引継ぎ作業をする。
※面白味に欠ける真面な事を書いてしまいました。勿論、たけそらセラピスト自身は、上記の任務を、遂行出来たわけではありません。ご参考までに。
※2年目に突入にしたら、サロンの状況次第で、勤務日を減らし、初歩の初歩から独立準備に、着手し始めるべきです。慣れ親しんだ勤務サロンとの別れを意識し始めるのは、寂しさも過りますが、本来の目的を見失っては、本末転倒です。ふとした瞬間に、勤務サロンの業務に対する、多少なりともの惰性感が、心の中を支配してしまう事がないように、早めに、独立に向けての、現実的な下準備を、休日を使って、始めたいところです。いざ準備に着手し始めれば、生活に張りが出るので、サロン勤務時の心持ちにも、良い影響があるでしょう。
※大事な点は、貴方の独立心・勤務サロン退職迄の道筋を、勤務サロン側が理解・応援してくれて、勤務サロン側にも、相乗効果を引き起こし、共に協調して、独立までの期間を歩めるかでしょう。「たけそらセラピスト」には、出来ませんでしたが。
週1日の独立準備日は、準備万端・万全の態勢で独立日を迎える為に、1年間程の長期間の時間を割いた方が良いです。時間を掛け過ぎということはないです。細かい手入れ作業(内装・WEB)で、いくら時間があっても、足りない位だと思います。
※自身は、サロン勤務の最終年期は、勤務時間前後に、毎日のように準備時間を設けましたが、内装作業の手直し改善・WEBサイトの更新作業(自身の生活の振り返り記述作業)において、次から次に、表現したい事が溢れ出てくるので、時間は掛かりました。ここぞとばかりに、長年の間、溜め込んだ表現欲を解放し吐き出す期間でもあったのでしょう。
●物件探しと内装ー探し途中のタイミングで、「ここしかない」という直感・確信を持てる物件が見つかってしまったら、直ぐに賃貸契約して、内装のイメージ創りと、素材・材料を仕入れ、作業準備に取り掛かった方が良いです。素材・材料は、ホームセンターや東急ハンズ等・WEBショップで仕入れられます。自身でノコギリ作業は無理だという方は、お店にお願いすれば、素材・木材を指定した長さに切断・穴加工してくれます。
DIY精神で、テーブル・イス・小物類も、自作すると良いかもしれません。例えば、以下も良いかもしれません。
・絵心がある方は、壁一面の特大キャンバスに油絵を描く。大判布地に刺繍を施す。
・市販のモデル・解剖学書を参考に、粘土製の等身大の人体骨格模型を作成する。
・たけそらセラピストのように、看板群・置物類・ロゴを彫刻・塗装する。
※大切・大事なのは、貴方の独自の世界観を具現化することです。
※出来れば、サロン開業の半年前には、物件を決めておきたいところです。3か月程度では、簡易な内装作業しか出来ないでしょう。
※都心から離れれば、比較的安価で物件が見つかるでしょうから、古い一軒家サロンも可能だと思います。
※物件の立地選びは、激戦区云々ではなく、貴方が何処の街に馴染む性質なのか、何処の街でサロンを営みたいのかという事でしょう。都心の高級な住宅街の路地裏、サブカルチャーの匂いのする雑多な街、自然豊かな郊外の閑静な住宅街なのかは、貴方次第でしょう。貴方の施術だからこそ受けたい方は、どんなに辺鄙な場所に開業しても、足を運んでくださると思います。
※何はともあれ、インディペンデントなサロン磁場創りが全てです。自身が納得出来る迄、徹底的に、手を入れ直し続けることです。
●ホームページ作成ーワードプレスがベストでしょうが、たけそらセラピストの独立時代とは話が違います。WEB進化の現在は、ブログ機能のある無料サイトで、自身で作成・更新するだけで十分でしょう。
ホームページは、金銭に余裕があっても、WEB業者に依頼しない方が良いです。サイトを自身で管理して更新できると、情報発信のスピード感がありますし、何よりも、オウンドメディア内で自由に表現活動が出来て、楽しいですから。自分などは、20代中盤に、ゴミ捨て場のキーボードを拾って持ち帰り、イメージして触り始めたところから、パソコン作業がスタートしてますから。安心してください。苦手意識がある方でも、誰でも出来ます。諦めないでください。
個人サロンですので、如何にも業者感のあるホームページが良いということでもないと思います。想いが伝わる手創り感は大事です。
また、独立後も更新し続けていくことになりますので、最初の土台創りが、大事になってくると思います。入念に、サイトマップ構想を練った方が良いでしょう。
SEO(検索エンジン最適化)に関しても、取り組む必要がありますが、拘り過ぎなくても良いかと思います。たけそらサロンの独立期は、試行錯誤の独力で、WEB業者が管理するサイトよりも、メイン・キーワード検索で上位表示させる事が、辛うじて可能でしたが、その後は、美容系ポータルサイトに検索結果が独占される状態になっていますし、見る影もないという状況です。(独立初期は、ホームページ・SNSサイトが「新宿 整体」「新宿 マッサージ」検索で11~20番目までは可能でした。)
取り組む意欲があるならば、確実に需要はあると思われ希少性もある「ニッチ・キーワード」で上位表示を目指すのみです。また、ニッチ・キーワードでさえも、検索結果に上位表示されないのであれば、WEBサイトの構造を根本から見直す必要があるでしょう。
いずれにしても、ホームページのコンテンツの充実(質・専門性・網羅性の高い、面白くて新しくて普遍的)に努めることが、全てです。そして、金銭・人脈を生かして独立するのでなければ、ホームページ・SNSで貴方のサロンの存在を認知・見つけてもらわなければ、世の中の誰にも、貴方の施術を届けることが出来ませんので、繰り返しになりますが、独立後も地道に、表現活動を楽しみながら、サイト更新をし続けることが必要です。
※SNSで、独立準備記の情報発信をするのも良いでしょう。もしかしたら、その後、お客様になるかもしれない誰かの目に留まる可能性もあると思います。
※簡易的なホームページ作成、またはホームページを作成せずに、ホットペッパービューティーに掲載すれば良いという安直な考えには、勿論、賛成出来ません。
まだサロン内で学ぶ事があるという確信があるならば良いでしょうが、サロン勤務が長期間に渡ってしますと、しがらみが生まれ(自身のサロン勤務を振り返ってみても)、足が抜けられなくなります。独立という本来の目的が、遠のいてしまうかもしれません。サロンの状況次第にもなりますが、自身のタイミングで、サロン勤務に区切りをつける決断をしなければならない潮時が必ず来ます。その時が来る迄、白眉・至高の存在になって飛び立てるように、手技・感性を磨き続けるのみです。
※勤務サロンの業務に対する惰性感が出始めたら、潮時かもしれません。その時点から独立の準備を始めても、遅きに失するかもしれません。また、何か突発的な事態(勤務サロン閉店等)が起こった場合でも、直ぐに行動に移せるように、独立に向けての入念な下準備だけは、秘密裏に、しておくべきです。
※リラクゼーション系のサロン勤務は、日々の手技・身体の基礎鍛錬・解剖学書の読み込みの土台(尚更、独立後は、必須・必要不可欠)に支えられているのならば、結果的に長期間の勤務(最古参のスタッフになり、指導してくれる存在がいなくても)になってしまっても、独立という行為自体は可能であると思います。何も考えずに、生活の為に勤務し、長期間の勤務を続けているのであれば、井の中の蛙状態で、全く進歩がなく、むしろ経年劣化する危険性もあるということは、最後に書き残したいと思います。
勤務サロン側が「誇り」に思う存在に成長して、スタッフから門出の「はなむけの言葉」「感謝の花束」を受けて、晴れ晴れと清々しく、勤務サロンから「個人サロン」に旅立つ。のが最良でしょう。「たけそらセラピスト」には、出来ませんでしたが。
志があれば、何もなくても、大丈夫です。金銭がなければ、運命の「師匠」を探して、弟子になる道があります。(貴方という存在を、無償で親身になってくれる方は、何処かに必ずいるのだと思います。諦めないでください。まだ何も始まっていないのですから。)生活費の工面に関しては、昼間か夜間に、別の仕事に従事して、持ち堪えるしかないです。弟子という目的のある生活の為、精神面では充実した日々になると思います。弟子生活に区切りをつけた後は、自分で新しい道(他所で、整体院・サロン勤務をするのか、はたまた、畑違いの仕事に従事するのか)を切り開くしかありません。(長期間の弟子生活に関しては、自分は分かりませんが、師匠の整体院を引き継ぐ・暖簾分けをしてもらうのであれば、良いとは思います。)
※世の中は、平等ではありませんし、身の上を嘆いていても、何も始まりません。思い立ったら、即座に、行動あるのみです。充実した毎日を送れば、お金がなくても、心は豊かですから。また、初期衝動を起こす為には、一旦、底の底に沈殿してから、猛烈に浮き上がる必要があるのかもしれません。そこまでの想いの奮起がないのであれば、授業料を複数回払いにお願いして、専門学校・スクールに通う方が、無難でしょう。
貯金があるならば、専門学校・スクール(本気で勉強すれば、1年制で十分でしょう。)に入校することです。どの程度の山を登り詰めることが出来るかは、カリキュラム次第という面もあるでしょうが、本人の意欲があれば、創意工夫で逆境を跳ね返し、何処の学校・スクールでも、大差はないのではないでしょうか。20代前半迄ならば、3年制の専門学校に通い、世間に認知されている国家資格を取得した方が良いのでしょうが、社会人になってからは、そんな悠長な事をやってられないでしょうし、気長に気持ちを持続させるのは大変でしょうから。いずれにしても、人其々です。
※民間資格は、取得しても、お飾りに過ぎませんので、取得に拘らなくて良いかと思います。実際に、自分にとっては、中国整体士の資格証は、サロン内のお飾り状態・置物と化しています。(蝋燭の火で燃やせば、灰燼に帰すだけの紙切れです。学生時代の勉励の記憶と思い出のみが、今も宝物です。)ご新規のクライアントの方々を、最低限・安心させる事が出来る効力は、あるのでしょう。資格・ディプロマ等を取得しなくても、日々、研鑽を積み重ねていれば、生の施術で、クライアントの方に安心を伝えられると思います。
たけそらセラピストのサロン勤務状態・状況を、反面教師的に、受け取ってもらった上で、自身が考えるベストな「独立までの道程」を提示します。決して、たけそらセラピストのサロン勤務時代(連日勤務)を、見習わない方が良いです。誰も真似はしたくないし、出来ないのでしょうが。
学生生活を終えた後は、サロン勤務に進むことになると思いますが、勤務することになるサロンも「御縁」です。貴方と相性の良いサロンが、何処にあるのかも分かりません。サロン勤務は、2年程は継続された方が良いかと思います。※スクール在籍時に、サロン勤務の片手間バイトをして、スクール卒業と同時に、個人サロンを開業する方もいるのでしょうが、自分は、お勧めはしません。(社会人としての経験が長く・豊富な方は、大丈夫なのだと思います。)
※要は、専門学校・スクール1年+サロン勤務2年の「石の上にも三年」です。「虚仮の一念、岩をも通す」の心持ち。
1年目は、施術経験を積み、サロン業務全般を覚え、サロン内の1年の流れ(春夏秋冬)を掴む必要があるでしょう。出勤から退勤までの1日の業務を、ルーティンワークとして、身体に沁み込ませることが大事です。また、業務に慣れてきたら、週6日の鬼勤務をして、独立費用の為の貯金をする必要もあるかと思います。英気を養う休養日は週1日で十分でしょう。
※期待と不安が入り混じるスタートからの1年目の期間は、新しい環境でのワークで、施術士としても新鮮な日々です。先ずは、独立心は、心の片隅に仕舞い込んで、普段の日常では、考えなくても良いでしょう。何より、貴方と相性の良い仲間に恵まれて、心の亀裂なく、楽しく働ければ、順調・上々の日々です。勤務後に共に飲食出来る、サロン退職・独立後も交流できる善き仲間に出会えると最高でしょう。結局のことろ、最後は、人との繋がりだけが、残るでしょうから。(楽しき思い出も。)
2年目は、出勤日を減らし、週5日の安定勤務に移行。独立準備1日。休養1日。新鮮な心持ちを保持し、施術手技を研鑽しながらも、お世話になっているサロンへの「恩返し」として、
・後輩セラピストを1人前に育て上げる。先輩セラピストとして、スタッフ育成システムを練り上げる。
・サロン業務が更に円滑に廻るように、経営者・マネージャーと一緒に、サロン内システムを創り上げる。
・自身がいなくなっても、サロンブランドを維持・継続・発展していけるように、後輩に引継ぎ作業をする。
※面白味に欠ける真面な事を書いてしまいました。勿論、たけそらセラピスト自身は、上記の任務を、遂行出来たわけではありません。ご参考までに。
※2年目に突入にしたら、サロンの状況次第で、勤務日を減らし、初歩の初歩から独立準備に、着手し始めるべきです。慣れ親しんだ勤務サロンとの別れを意識し始めるのは、寂しさも過りますが、本来の目的を見失っては、本末転倒です。ふとした瞬間に、勤務サロンの業務に対する、多少なりともの惰性感が、心の中を支配してしまう事がないように、早めに、独立に向けての、現実的な下準備を、休日を使って、始めたいところです。いざ準備に着手し始めれば、生活に張りが出るので、サロン勤務時の心持ちにも、良い影響があるでしょう。
※大事な点は、貴方の独立心・勤務サロン退職迄の道筋を、勤務サロン側が理解・応援してくれて、勤務サロン側にも、相乗効果を引き起こし、共に協調して、独立までの期間を歩めるかでしょう。「たけそらセラピスト」には、出来ませんでしたが。
週1日の独立準備日は、準備万端・万全の態勢で独立日を迎える為に、1年間程の長期間の時間を割いた方が良いです。時間を掛け過ぎということはないです。細かい手入れ作業(内装・WEB)で、いくら時間があっても、足りない位だと思います。
※自身は、サロン勤務の最終年期は、勤務時間前後に、毎日のように準備時間を設けましたが、内装作業の手直し改善・WEBサイトの更新作業(自身の生活の振り返り記述作業)において、次から次に、表現したい事が溢れ出てくるので、時間は掛かりました。ここぞとばかりに、長年の間、溜め込んだ表現欲を解放し吐き出す期間でもあったのでしょう。
●物件探しと内装ー探し途中のタイミングで、「ここしかない」という直感・確信を持てる物件が見つかってしまったら、直ぐに賃貸契約して、内装のイメージ創りと、素材・材料を仕入れ、作業準備に取り掛かった方が良いです。素材・材料は、ホームセンターや東急ハンズ等・WEBショップで仕入れられます。自身でノコギリ作業は無理だという方は、お店にお願いすれば、素材・木材を指定した長さに切断・穴加工してくれます。
DIY精神で、テーブル・イス・小物類も、自作すると良いかもしれません。例えば、以下も良いかもしれません。
・絵心がある方は、壁一面の特大キャンバスに油絵を描く。大判布地に刺繍を施す。
・市販のモデル・解剖学書を参考に、粘土製の等身大の人体骨格模型を作成する。
・たけそらセラピストのように、看板群・置物類・ロゴを彫刻・塗装する。
※大切・大事なのは、貴方の独自の世界観を具現化することです。
※出来れば、サロン開業の半年前には、物件を決めておきたいところです。3か月程度では、簡易な内装作業しか出来ないでしょう。
※都心から離れれば、比較的安価で物件が見つかるでしょうから、古い一軒家サロンも可能だと思います。
※物件の立地選びは、激戦区云々ではなく、貴方が何処の街に馴染む性質なのか、何処の街でサロンを営みたいのかという事でしょう。都心の高級な住宅街の路地裏、サブカルチャーの匂いのする雑多な街、自然豊かな郊外の閑静な住宅街なのかは、貴方次第でしょう。貴方の施術だからこそ受けたい方は、どんなに辺鄙な場所に開業しても、足を運んでくださると思います。
※何はともあれ、インディペンデントなサロン磁場創りが全てです。自身が納得出来る迄、徹底的に、手を入れ直し続けることです。
●ホームページ作成ーワードプレスがベストでしょうが、たけそらセラピストの独立時代とは話が違います。WEB進化の現在は、ブログ機能のある無料サイトで、自身で作成・更新するだけで十分でしょう。
ホームページは、金銭に余裕があっても、WEB業者に依頼しない方が良いです。サイトを自身で管理して更新できると、情報発信のスピード感がありますし、何よりも、オウンドメディア内で自由に表現活動が出来て、楽しいですから。自分などは、20代中盤に、ゴミ捨て場のキーボードを拾って持ち帰り、イメージして触り始めたところから、パソコン作業がスタートしてますから。安心してください。苦手意識がある方でも、誰でも出来ます。諦めないでください。
個人サロンですので、如何にも業者感のあるホームページが良いということでもないと思います。想いが伝わる手創り感は大事です。
また、独立後も更新し続けていくことになりますので、最初の土台創りが、大事になってくると思います。入念に、サイトマップ構想を練った方が良いでしょう。
SEO(検索エンジン最適化)に関しても、取り組む必要がありますが、拘り過ぎなくても良いかと思います。たけそらサロンの独立期は、試行錯誤の独力で、WEB業者が管理するサイトよりも、メイン・キーワード検索で上位表示させる事が、辛うじて可能でしたが、その後は、美容系ポータルサイトに検索結果が独占される状態になっていますし、見る影もないという状況です。(独立初期は、ホームページ・SNSサイトが「新宿 整体」「新宿 マッサージ」検索で11~20番目までは可能でした。)
取り組む意欲があるならば、確実に需要はあると思われ希少性もある「ニッチ・キーワード」で上位表示を目指すのみです。また、ニッチ・キーワードでさえも、検索結果に上位表示されないのであれば、WEBサイトの構造を根本から見直す必要があるでしょう。
いずれにしても、ホームページのコンテンツの充実(質・専門性・網羅性の高い、面白くて新しくて普遍的)に努めることが、全てです。そして、金銭・人脈を生かして独立するのでなければ、ホームページ・SNSで貴方のサロンの存在を認知・見つけてもらわなければ、世の中の誰にも、貴方の施術を届けることが出来ませんので、繰り返しになりますが、独立後も地道に、表現活動を楽しみながら、サイト更新をし続けることが必要です。
※SNSで、独立準備記の情報発信をするのも良いでしょう。もしかしたら、その後、お客様になるかもしれない誰かの目に留まる可能性もあると思います。
※簡易的なホームページ作成、またはホームページを作成せずに、ホットペッパービューティーに掲載すれば良いという安直な考えには、勿論、賛成出来ません。
まだサロン内で学ぶ事があるという確信があるならば良いでしょうが、サロン勤務が長期間に渡ってしますと、しがらみが生まれ(自身のサロン勤務を振り返ってみても)、足が抜けられなくなります。独立という本来の目的が、遠のいてしまうかもしれません。サロンの状況次第にもなりますが、自身のタイミングで、サロン勤務に区切りをつける決断をしなければならない潮時が必ず来ます。その時が来る迄、白眉・至高の存在になって飛び立てるように、手技・感性を磨き続けるのみです。
※勤務サロンの業務に対する惰性感が出始めたら、潮時かもしれません。その時点から独立の準備を始めても、遅きに失するかもしれません。また、何か突発的な事態(勤務サロン閉店等)が起こった場合でも、直ぐに行動に移せるように、独立に向けての入念な下準備だけは、秘密裏に、しておくべきです。
※リラクゼーション系のサロン勤務は、日々の手技・身体の基礎鍛錬・解剖学書の読み込みの土台(尚更、独立後は、必須・必要不可欠)に支えられているのならば、結果的に長期間の勤務(最古参のスタッフになり、指導してくれる存在がいなくても)になってしまっても、独立という行為自体は可能であると思います。何も考えずに、生活の為に勤務し、長期間の勤務を続けているのであれば、井の中の蛙状態で、全く進歩がなく、むしろ経年劣化する危険性もあるということは、最後に書き残したいと思います。
勤務サロン側が「誇り」に思う存在に成長して、スタッフから門出の「はなむけの言葉」「感謝の花束」を受けて、晴れ晴れと清々しく、勤務サロンから「個人サロン」に旅立つ。のが最良でしょう。「たけそらセラピスト」には、出来ませんでしたが。
整体弟子/ワークショップ/独り一派/志|セラピストの独立雑記
東京新宿 整体たけそら|プライベートサロン
東京新宿 整体たけそら|プライベートサロン
■セラピストの施術雑記|2012+2026
2012年春~初夏頃は、お客さんもまばらで、暇な時間がほとんどでしたので、サロン勤務での「手癖」のついた施術の流れを、一旦、取り払う事にしました。昼は外仕事(寺院清掃)後に砂の入った頭陀袋の上で、深夜は部屋で座布団を丸めて、独り練習していた、あの頃(中医薬大学日本校での勉強時代)を思い出しながら。
●黒龍江中医薬大学日本校
通っていた当時は、高田馬場駅前のビル内に、受付・実技室・座学室・付属サロンがありました。
本場・中医師の先生方に教わるだけではなく、自主的に考えて・動き続けていたので、授業料以上の価値のある・有意義な時間を得られたのだと思います。心機一転、心模様を新たに、社会人になってからの、短し学生生活を送りました。清新感覚で勉励の日々。
(全ては、本人の奮励次第なのです。もしも、受身の姿勢でいたならば、得られる経験も、少なかったのだと思います。授業料を支払えば、スクール側が生徒を、サロン勤務・独り立ちへ導いてくれるわけではないのです。自分で自分の尻を叩き続けて、刻苦勉励あるのみです。)
実技授業後の隙間・休憩時間には、がらんとした実技室で、先刻、習った施術の動きを、身に沁みこませる為に、独り反復してイメージ施術。(整体院弟子時代と変わらず。元々、身体表現に傾倒した自分ならではの、習得方法。)
授業の空き時間に、付属サロン内で、在校生の方々と、施術練習も出来ました。当時は、近くに移転前の新宿区立中央図書館があり、移転前の立川・都立 多摩図書館にも通い、勉強していました。当時の校内は、学生人数も社会人中心に多く、活気があったと、記憶しています。
その後、間髪を容れず、上記の新宿のサロン勤務へ。合縁奇縁「同じ釜の飯を食った人よ、ありがとう。」追想。
※「推拿」という名称が、世間一般・施術業界で、拡がりを見せる気配もなく、浸透する事がなかったからでしょうか。現在は、規模縮小・移転しているようです。お世話になりました。
●黒龍江中医薬大学日本校
通っていた当時は、高田馬場駅前のビル内に、受付・実技室・座学室・付属サロンがありました。
本場・中医師の先生方に教わるだけではなく、自主的に考えて・動き続けていたので、授業料以上の価値のある・有意義な時間を得られたのだと思います。心機一転、心模様を新たに、社会人になってからの、短し学生生活を送りました。清新感覚で勉励の日々。
(全ては、本人の奮励次第なのです。もしも、受身の姿勢でいたならば、得られる経験も、少なかったのだと思います。授業料を支払えば、スクール側が生徒を、サロン勤務・独り立ちへ導いてくれるわけではないのです。自分で自分の尻を叩き続けて、刻苦勉励あるのみです。)
実技授業後の隙間・休憩時間には、がらんとした実技室で、先刻、習った施術の動きを、身に沁みこませる為に、独り反復してイメージ施術。(整体院弟子時代と変わらず。元々、身体表現に傾倒した自分ならではの、習得方法。)
授業の空き時間に、付属サロン内で、在校生の方々と、施術練習も出来ました。当時は、近くに移転前の新宿区立中央図書館があり、移転前の立川・都立 多摩図書館にも通い、勉強していました。当時の校内は、学生人数も社会人中心に多く、活気があったと、記憶しています。
その後、間髪を容れず、上記の新宿のサロン勤務へ。合縁奇縁「同じ釜の飯を食った人よ、ありがとう。」追想。
※「推拿」という名称が、世間一般・施術業界で、拡がりを見せる気配もなく、浸透する事がなかったからでしょうか。現在は、規模縮小・移転しているようです。お世話になりました。
●自己研鑽|基本と研磨
独立当初は、施術ルームで、「初心」に帰って、基本の手技・型・動作だけを、繰り返し、体に沁み込ませていました。先行きの不安を掻き消す為にも、今の時間に集中し、無心になって体を動かし、ひたすら反復練習していました。
肌感覚として触れる実践の場からは、遠ざかることになりましたが、この期間の「イメージトレーニング」の蓄えが、その後、お客さんへの施術の場で、活かされて来たのを少しづつ実感して行きました。
一指禅推法(いっしぜんすいほう)・滾法(こんぽう)等の基本手技の大切さを、身に沁みて、感じることになりました。今となっては、施術が、次の段階に進む為の、必要な期間だったのだと思えます。
一度フラットな状態に戻して、もう一度、築き上げて行く事。これからも、現状を再構築する事を恐れずに、必要ではない概念は手放し、新しい思考を身に付けて、変化し続けることなのかなと感じました。
※自己研鑽を積む作業|お世話になった整体院・中医薬大学で、教示を受けた施術の一連の流れを基に、自分なりに構築した過去の施術の流れ。なにゆえに、この流れになっているのかと、本質的に意義・価値はあるのかと、自身に問いかけ・自己洞察する作業、とでも言うべきかな。
単体としての精度を上げるべく磨いた手技群を、再度、現状での最善の施術の流れとして、組み合わせ・創り上げていく作業であったのだと思います。
独立当初は、施術ルームで、「初心」に帰って、基本の手技・型・動作だけを、繰り返し、体に沁み込ませていました。先行きの不安を掻き消す為にも、今の時間に集中し、無心になって体を動かし、ひたすら反復練習していました。
肌感覚として触れる実践の場からは、遠ざかることになりましたが、この期間の「イメージトレーニング」の蓄えが、その後、お客さんへの施術の場で、活かされて来たのを少しづつ実感して行きました。
一指禅推法(いっしぜんすいほう)・滾法(こんぽう)等の基本手技の大切さを、身に沁みて、感じることになりました。今となっては、施術が、次の段階に進む為の、必要な期間だったのだと思えます。
一度フラットな状態に戻して、もう一度、築き上げて行く事。これからも、現状を再構築する事を恐れずに、必要ではない概念は手放し、新しい思考を身に付けて、変化し続けることなのかなと感じました。
※自己研鑽を積む作業|お世話になった整体院・中医薬大学で、教示を受けた施術の一連の流れを基に、自分なりに構築した過去の施術の流れ。なにゆえに、この流れになっているのかと、本質的に意義・価値はあるのかと、自身に問いかけ・自己洞察する作業、とでも言うべきかな。
単体としての精度を上げるべく磨いた手技群を、再度、現状での最善の施術の流れとして、組み合わせ・創り上げていく作業であったのだと思います。
●出張訪問|基本と遊行
「出張訪問」は、東京中を巡り、あらゆる状況の中で、施術をすることが出来るので、良い経験になっています。施術の新しい発想も湧いてきますし、過去の施術の記憶が蘇ってきて、施術の流れが繋がる機会があったりします。
その時に大事なのは、やはり「基本」であり、基本さえしっかりしていれば、どんな状況でも対応できると実感してます。体幹が安定した身体の使い方が出来れば、いついかなる施術状況でも、揺らぐ局面でも軸バランス重心をとり、土台・施術が崩れることはないです。余計な力を抜き脱力、必要最小限の力と自重で、柔らかい動きをデザインする身体操作。やはり普段の身体操法・体操トレーニングと基本の型・動作反復練習が大切です。
※脇道の話になりますが、元々、遍歴を重ねた若い時分は、江戸時代の旅芸人のような放浪・浮草稼業の生活を良しとしていたので、クライアントの自宅・ホテル・職場を巡り歩く行為自体は、元来、性に合っているのだと思います。遊行廻想。
深夜帯の施術後に、真夜中の散歩。ミッドナイト・トラベラー。
諸人が寝静まった静寂な夜更け。ロマ/ジプシー風・青年時代に訪れた記憶が蘇る懐かしい町々の、未だ見知らぬ角々や、運河道・川土手道を、橋の上で漆黒の川面を眺め佇みながら、一筋の光り輝く街までの道すがら、凛々精悍・颯々颯爽と、時には疲弊困憊・憔悴の体で、愚直な心の灯火と共に、独り歩き続ける。
生温い風が纏わりつく日も、極寒の凍えそうになる日も、始発電車が走り出すまで・付近のサウナまでの道すがら、愛聴する座右の曲の諸々を唄いながら・ぶらりと彷徨い歩く、行雲流水の時間。
夜明け迄の流浪・漂泊のノマド的ヒトトキは、極大切な解放・至福の時間にもなっていました。
兎にも角にも、活動拠点であるDIY隠れ家プライベートサロン内での施術と、出張訪問施術での、悲喜交々とした、永年に亘る場数を踏んだ両輪の経験から醸成・発酵した想起が「竹宙たけそらセラピスト」のコア核を形成しているのだと思います。
泥蓮・胡蝶・刹那・道程・情緒・松濤・瑞雲・慧眼・坐忘・阿吽・独創・竹宙整体
うつくし・うるわし・うたかた・たゆたう・いざよう・ものおもふ・たけそらマッサージ
※細字は、2012年後半に記述した文章になります。(幾分かの手直し・追記・加筆表現あり。)
※太字長文は、2026年・加筆文章になります。
「出張訪問」は、東京中を巡り、あらゆる状況の中で、施術をすることが出来るので、良い経験になっています。施術の新しい発想も湧いてきますし、過去の施術の記憶が蘇ってきて、施術の流れが繋がる機会があったりします。
その時に大事なのは、やはり「基本」であり、基本さえしっかりしていれば、どんな状況でも対応できると実感してます。体幹が安定した身体の使い方が出来れば、いついかなる施術状況でも、揺らぐ局面でも軸バランス重心をとり、土台・施術が崩れることはないです。余計な力を抜き脱力、必要最小限の力と自重で、柔らかい動きをデザインする身体操作。やはり普段の身体操法・体操トレーニングと基本の型・動作反復練習が大切です。
※脇道の話になりますが、元々、遍歴を重ねた若い時分は、江戸時代の旅芸人のような放浪・浮草稼業の生活を良しとしていたので、クライアントの自宅・ホテル・職場を巡り歩く行為自体は、元来、性に合っているのだと思います。遊行廻想。
深夜帯の施術後に、真夜中の散歩。ミッドナイト・トラベラー。
諸人が寝静まった静寂な夜更け。ロマ/ジプシー風・青年時代に訪れた記憶が蘇る懐かしい町々の、未だ見知らぬ角々や、運河道・川土手道を、橋の上で漆黒の川面を眺め佇みながら、一筋の光り輝く街までの道すがら、凛々精悍・颯々颯爽と、時には疲弊困憊・憔悴の体で、愚直な心の灯火と共に、独り歩き続ける。
生温い風が纏わりつく日も、極寒の凍えそうになる日も、始発電車が走り出すまで・付近のサウナまでの道すがら、愛聴する座右の曲の諸々を唄いながら・ぶらりと彷徨い歩く、行雲流水の時間。
夜明け迄の流浪・漂泊のノマド的ヒトトキは、極大切な解放・至福の時間にもなっていました。
兎にも角にも、活動拠点であるDIY隠れ家プライベートサロン内での施術と、出張訪問施術での、悲喜交々とした、永年に亘る場数を踏んだ両輪の経験から醸成・発酵した想起が「竹宙たけそらセラピスト」のコア核を形成しているのだと思います。
泥蓮・胡蝶・刹那・道程・情緒・松濤・瑞雲・慧眼・坐忘・阿吽・独創・竹宙整体
うつくし・うるわし・うたかた・たゆたう・いざよう・ものおもふ・たけそらマッサージ
※細字は、2012年後半に記述した文章になります。(幾分かの手直し・追記・加筆表現あり。)
※太字長文は、2026年・加筆文章になります。
セラピストの施術雑記|2012+2026
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